ESPERANZAインタビュー
皆さんは、「奇跡体験アンビリーバボー」(フジテレビ系列)という番組をご存知ですか? 2001年に、この番組で神戸在住のあるご夫婦が取り上げられ、大きな反響を呼びました。 まだ記憶に新しい方も多いのではないでしょうか?
そのご夫婦、ESPERANZAのお二人(奥田勝彦さんと奥田良子さん)が、初めて当社に来られたのは、この番組が放送され、まだ余韻が残る頃でした。
あれから、早いもので、今年で9年。
あっという間に、システムブレーンにご登録いただいている講師の中でも、一二を争う人気講師に。
今回は、そんな御忙しいお二人が、お仕事の合間を見つけて、久々に当社に遊びに来られました。
「今日は御忙しい中、来社いただき、ありがとうございます。最近、とても御忙しくされているようですね。これから、講演・コンサートなどのイベントが多い時期に入りますが、お体の調子は大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。いろいろな方に体調のことを心配していただくのですが、どうも忙しくしている方が体調は良いみたいです(笑)」
「僕たちを待っていて下さるかたがいらっしゃる、という心地良いプレッシャーのおかげで生活に張りもあって、二人とも体調が良いみたいですね」

「なるほど。良い緊張感が続く中で、お仕事をされているということですね。安心しました。本格的に、お二人が現在の活動を開始されて、もう随分たちますが、最初の頃と今と、ステージに上がられるときの“気持ち”という面で、変化はありますか?」
「このお仕事を始めた頃は、私の病気のことを多くの人に知って欲しいという気持ちが一番強かったような気がします。それに、自分の“伝えたい”ことを“伝えきる”ということだけで精一杯でした。それが、いろんなところで経験を積ませていただくうちに、“自分の体験を人に話すこと”で、私たちの演奏とお話を聞いてくださる皆さんに、何らかの形で“役に立ちたい”という思いが強くなってきました」
「“気持ち”の部分の大きな変化ですよね。“気持ち”の部分以外にも、現在のクオリティまで高めるまでには、いろいろと御苦労されたこともあったのではないですか?」
「そうですね。いろいろありましたね(笑)。でも、そのほとんどが“今となっては”と、笑いながら話せることですが…実は“言葉”についてはとても苦労していたと思います。最初のころ、人前で話すことに気合が入っていたのか、良子はいつも標準語に近いイントネーションで話しはじめるんです。それが、だんだん気持ちが入って熱くなってくると、関西弁のイントネーションになっていたり…(笑)。あとは、病気のことを話すときに、本人は自分のことなので“よくわかっている”のですが、聴講されている皆さんは初めて聞く話なので、“よくわからない”ということがあったんです。万人に理解できる言葉で説明する、ということの難しさはありましたね。僕はステージの上ではほとんど話さないので、第三者的な立場で話を聞いているのでいろいろ気づくんですよ」
「そうなんですよ・・。本番が終了した後“途中から関西弁になっていた”とか“あの部分の説明は全然わからなかった”とか、よくダメ出しをされました。とくに“伝わっていない”ということに関しては厳しくチェックされましたね。でも、これはとても大事なことなんですよね。60分、90分という時間の中で、聞く側の皆さんが“何となくわかったような気がする”という部分が続くと、結局、終った後に残るものも“何となく”になってしまうのです。だから、勝彦さんからダメ出しをされる度に、自分なりに表現を考えたりと、試行錯誤が続きました。本当に“今となっては”ですが、最初のころにしっかりと“言葉や表現”を見つめたのが良かったんだと思っています。最近は…前よりは少し余裕ができたので、会場の雰囲気や、お客様の感じを見て話す内容や演奏曲目を変えたりできるようになりました。言葉ですか?今では“アタマから関西弁で話す”ようにしています(笑)」
■小学生・中学生・高校生の皆さんへ〜
「伝えたいことを的確に聴講者に届けるというのは、とても難しいことですよね。そのご苦労は、とてもよくわかります。とくに、年代ギャップがある“子ども”達に伝えるというのは難しくないですか?」
「私も最初のころは、難しいのかなぁ、と思っていたんですが…実際は、全然問題ないんですよ」
「そうなんですか。お二人は、学校講演の際には、どういうお話をされるんですか?」
「学校講演の核になるキーワードは“夢”です。小学校高学年、中学生、高校生のみなさんには、話し方こそ違いますが「夢をあきらめないで」というテーマでお話しをさせてもらっています。小学校低学年の子どもたちの前では、そこまでメッセージ性の強いものにはしませんが、同じく夢をテーマに、純粋に楽しい時間を過ごしてもらうようにしています」
「私自身の経験をお話しすることで、どういう風に子どもたちの役に立てるのだろうと考えたとき、“夢”の話をすることが一番だと思ったんです。トークコンサートの最初に“みなさんの今の夢って何ですか?”という質問をします。そして、最後には“みなさんの夢は見つかりましたか?”と尋ね、その夢がかないますように・・とラストの曲を演奏しています」
「“夢を持つこと”ですか。子ども達には必要なキーワードですよね。そして、私達大人が、絶対に子ども達に伝えないといけないメッセージのひとつですよね」
「私は、病気に罹ってから一度も“病気や治療がつらい”という理由で泣いたことはありません。ですが、フランス留学にドクターストップがかかり、その後も大きなチャンスがやってくると再発し、自分の夢への道がひとつずつ断たれるたびに、辛くて、悔しくて、涙を流していました。次々とあらわれる絶望をいう壁を乗り越えても乗り越えても、先には大きな壁がある・・そんな感じでした。そして、最後には疲れ果てて夢をあきらめてしまったんです。でも、あのときの私は、まだ“夢をあきらめること”のつらさを知らなかったんですね。それからの数年間が、私のこれまでの人生の中で一番辛かった時期ですね」
「でも、今は、こうして演奏をしておられますよね」
「そこなんですよ。中高生の皆さんも、これから、きっといろんな壁と直面することが出てくると思うんですね。でも、そのときに決してあきらめないで欲しい。私は、病気という壁にぶつかり、そこで夢をあきらめてしまい、それからは自分の不幸を嘆き悲しむ日々を過ごしたんです。先程も言いましたが、私の人生の中で、この時期が一番辛かったのは“病気になったこと”ではなく“夢をあきらめてしまった”からなんです。結局、私は、勝彦さんはじめ、今までに出会った多くの方々の支えがあって、再び夢を追いかけることができました。もちろん、身体的にも精神的にも、とても辛い時期はありましたが“夢をあきらめていた時期”に比べると、そんな辛さなんて大したことはないのです。私のこの体験を話すことによって、これからの次世代を担う若い人たちに、“夢”や“目標”を持ち続けることが、人生においてどれだけ大切なことかということを理解してもらえたら嬉しいです」
■教職員の皆さんへ〜
「良子さんご自身の体験をご自身の言葉で語られるから、伝わるものがあるのでしょうね。今のお話の中で、“出会い”というお話が少し出ましたが、子どもの頃に出会ったった先生の中で、印象に残っている先生はいらっしゃいますか?」
「私は、子どもの頃、何も出来ない子どもだったんです。勉強も出来ない、運動も出来ない。そんな自分と周囲の友だちを自分の中で比べては、“あぁ、自分は何もできないんだ”と…コンプレックスの塊だった時期がありました。でも、小学校ののときの担任の先生が、学期末に通知簿を配るときに、“みんな、オール5(5段階評価)なんて取ったらあかんで。オール5なんて取ってしまったら、何でも出来すぎて、きっと将来困ってしまう。それより、何かひとつだけでもいいから、得意なものがある方がええんや。その方が、将来の夢を探すときに苦労せえへんからな”という話をされたんです」
「その話が、夢や目標の方向付けをしてくれたんだよね」
「そうなんです。そのときの先生が私につけてくれた“5”が音楽だったんです。だから、その先生の話を聞いて、すごく気持ちが楽になって、“そうだ!私は音楽で夢を見つけよう”と子ども心に決めました。そして、その後も音楽だけは中学校、高等学校と良い成績を取ることができて、フルートと出会い、夢と出あい、今ではフルートを演奏することが生きる支えになり、たくさんの幸せをくれていると思います」
「素晴らしい出会いですね。その先生との出会いが無かったら、また違った人生だったかも知れませんね」
「よく“才能”という言葉が使われますが、才能って、そんなに大袈裟なものではないと思うんです。子どもの頃に、何かがちょっと人より得意だったり、人より好きだったり。それって、誰の中にも可能性がある小さな才能なんですよね。それを見つけてあげる、育てることを助けてあげることは、先生にとっては、とても大切なことだと思います」
「子どもにとって“何でも出来るようになれ”というのは、かなりプレッシャーですよね。でも、“何かひとつでもいいから、自分の得意なものを見つけて伸ばそう!”といわれると、気持ちが楽になるし、夢を持つこと、生きることが楽しくなりますよね。」
■看護師・看護学生の皆さんへ〜

「当社からは、看護学校や看護協会主催の講演会の依頼も多いのですが、日々、医療の現場を支える方々にお話しされるときは、どのようなお話をされるんですか?」
「いろいろな方との出会いがあったからこそ、私たちの今があるのですが、とくに良子は、看護師さんには“最初の一歩を踏み出すきっかけ”をもらったので、看護師さんや看護学生の皆さんにお話をするときは、思い入れもひとしおですね」
「どんな出会いがあったのですか?」
「看護師さんには、今もお世話になっていますし、入退院をしていた頃は、本当に助けてもらいました。とくに精神面で。私は、結構わがままな患者だったんです。入院中に決まっていた本番があれば、そこに出させてほしいとか、フルートを病院内で練習させてほしいとか、絶食がつらいから何か食べさせてとか・・いろいろ無理を言いました。でも、そんな私に対しても、いつも笑顔で接してくださるんです。あのときの看護師の皆さんの笑顔があったから、私は長い入院生活を我慢できたんだと…今でも、とても感謝しています」
「僕達の想像をはるかに越える大変なお仕事ですよね」
「看護師というお仕事は、世の中にあるお仕事の中で一番大変なお仕事と言ってもおかしくないと思っています。私はたくさんの素晴らしい看護師さん達に助けられてきました。少し大袈裟に聞こえるかも知れませんが、私の人生を、命を救ってくれた看護師さん達との出会いがあったんです。
夢をあきらめて絶望しているときに、病気が再発して、どうしても手術をしなくてはいけなくなったんです。すぐにいつも掛かっている神戸の病院に入院しましたが、その病院には、クローン病という難病に詳しいドクターがいらっしゃらなくて、なかなか思うように手術法や治療方針が決まらなかったんです。
そんなときに、同じ病気で闘病中の友人が“東京の専門医がいる病院に移った方がいい”とアドバイスしてくれたんです。でも、病院を変えるというのは、思っている以上にとても勇気のいることなんです。東京にひとりで行く勇気もないし、もし、東京の病院に移って手術を受けても、そのあとは、自分の住まいのある神戸に帰ってくるわけですよね。その後、調子が悪くなったりしたらどうするんだろう?もといた神戸の病院は受け入れてくれるだろうか?とか…いろんな不安材料があって、私は踏み切ることができなかったんですよ。
悶々としながら時間だけが過ぎていく中、ある日、私の病室に、病棟の看護師長さんを含めて、4,5人の看護師さんがやってきたんです。そして師長さんが“東京の病院に移りなさい。自分のからだのことですよ。後悔してはいけません。紹介状やレントゲン写真が必要なら、私たちが全部揃えてあげます。ドクターに言い出しにくいなら、私たちから話してあげるから大丈夫ですよ。自分のからだを、命を最優先に考えなさい。”って言われました。私はとても驚きましたが、看護師さんたちのおかげで、東京の病院に移れない理由が全て消えたんです」
夢をあきらめて絶望しているときに、病気が再発して、どうしても手術をしなくてはいけなくなったんです。すぐにいつも掛かっている神戸の病院に入院しましたが、その病院には、クローン病という難病に詳しいドクターがいらっしゃらなくて、なかなか思うように手術法や治療方針が決まらなかったんです。
そんなときに、同じ病気で闘病中の友人が“東京の専門医がいる病院に移った方がいい”とアドバイスしてくれたんです。でも、病院を変えるというのは、思っている以上にとても勇気のいることなんです。東京にひとりで行く勇気もないし、もし、東京の病院に移って手術を受けても、そのあとは、自分の住まいのある神戸に帰ってくるわけですよね。その後、調子が悪くなったりしたらどうするんだろう?もといた神戸の病院は受け入れてくれるだろうか?とか…いろんな不安材料があって、私は踏み切ることができなかったんですよ。
悶々としながら時間だけが過ぎていく中、ある日、私の病室に、病棟の看護師長さんを含めて、4,5人の看護師さんがやってきたんです。そして師長さんが“東京の病院に移りなさい。自分のからだのことですよ。後悔してはいけません。紹介状やレントゲン写真が必要なら、私たちが全部揃えてあげます。ドクターに言い出しにくいなら、私たちから話してあげるから大丈夫ですよ。自分のからだを、命を最優先に考えなさい。”って言われました。私はとても驚きましたが、看護師さんたちのおかげで、東京の病院に移れない理由が全て消えたんです」
「信じられないような話でしょう?僕も、初めてこの話を聞いたときは、すぐに信じられませんでした」
「そして、その日の夕方、担当医の先生が私のところに来られたんです。すごく厳しい先生だったので…私は“うわっ、おこられる…”と思ったんですが、その先生は“東京の病院に行くらしいね。どうせ行くなら、一番良い病院に移って、一番腕の良い専門医の手術を受けて、必ず良くなって帰ってきなさい。中途半端なことをして帰ってきたら、僕はあなたの治療をしないからね”って、力強く、でも、最後にはニコっと笑って、私を送り出してくれたんです」
「このドクターもすごい度量の広いドクターですよね。自分のプライドを押し殺し、患者にとって最良の医療を選択して下さったんですからね」
「医療現場は“命の現場”と言われますが、本当に素晴らしい看護師さんと担当医の先生だったんですね。」
「私は、あのときの看護師さんたちと先生に、命を救われたんだと今でも深く感謝しています。だから、恩返しのつもりで、看護師の皆さんや、看護師を目指して頑張っている学生の皆さんにお話して、感謝の気持ちを込めて演奏しています」
■人権啓発〜
「今のお話の中で、“命”という言葉が、お二人から出ましたが、当社からは、人権啓発事業の御依頼をする機会も多いのですが、お二人にとって、“人権”を考えるときにキーワードになってくるのは、やはり“命の大切さ”ということになりますか?」
「そうでうすね。私の場合は、自分の“命”と向き合う、と言うよりも向き合わざるを得ない経験をしてきたので、ひとよりも“命”という言葉にとても敏感かも知れません。ただ、“命の大切さ”を考えると言っても、なかなかピンとこないですよね。だから、私は“命を大切にする(=生きる)“ということは、“夢を持ち続ける”ことなんですよ、というお話をしています。子どもの頃と違い、大人になって年齢を重ねていけばいくほど“夢”という言葉に漠然としたイメージを持ってしまいます。でも、“夢=目標”や“夢=生きがい”という言葉に置き換えれば必要性がわかってきますよね。“夢”や“目標”や“生きがい”があるからこそ、自らの“命”を大切にすることができるんだと思います。そして、夢や目標や生きがいを実現させたり、充実させるために、周囲の人々との関わりあいが生まれ、その出会いに感謝して、他者を大切にする気持ちが自然と生まれてくるんじゃないかと思います」
「僕は、人権を考えるときに最初に思い浮かべる言葉は“愛”です。今、この国は、どこを見ても大変な時代じゃないですか。どこも殺伐としていて、みんな自分のことで精一杯。誰もが、ついつい自己中心的な考え方や価値判断で物事を見たり、決めたりしているんじゃないかと思うんですね。こんな時代だからこそ、少し口に出すのは照れてしまう言葉ですが“愛”が必要なんだと思います。それは“自己に対する愛”ではなく、“他者に対する愛”です。漠然としてはいますが、みんなが“愛”について、真剣に考えるようになれたら、人権啓発のあり方も、もっと良い方向に変化するのではないかと考えます」
■男女共同参画〜
「たしかに、勝彦さんがおっしゃる通り、現代社会の中では“愛”が乏しくなっているのかも知れませんね。これまで、お二人のお話をおうかがいしていると、いろんなところに“愛”を感じるのですが、お二人のパートナーシップについて、少しお話を聞かせていただいてもいいですか?」
「パートナーシップとか男女共同参画という言葉を使ってしまうと、少し構えてしまう人もいると思いますが、私は、そんなに難しいものではないと思っています。結婚した当時、私は会社勤めをしていましたが、お天気が悪くて体調も良くないときは“今日は会社を休もうかな”って、すぐに口に出してたんです。今から思えば恥ずかしい限りですが、その当時、私の病気のことを知っている人はみんな、私が体調不良を口にすると“大丈夫?休みなさい。横になってなさい。無理しないで”って言ってくれていたんです。それが、勝彦さんは違いました。“大丈夫か?会社休まないといけないほど痛いのか?”と、まず訊くんですね。その後、“僕が会社まで車で送ってあげようか?”って言うんです。ここまで言われると…“じゃぁ、頑張って行こうかな・・”となるんですよね。2年くらいかけてようやく“毎日会社に行く”というあたりまえのことができるようになりました。夫婦のパートナーシップって、優しさだけでも足りないし、厳しさだけでも足りないものだと思うんです」
「たしかに、お互いを尊重しあうということは、ただ優しいだけでも、厳しいだけでもダメですよね」
「私達は、結婚してから、何もかも二人でやってきました。掃除や洗濯も、食事の用意も、何もかもです。私は、そういう勝彦さんに甘えっ放しなのかも知れませんが(笑)」
「いやいや、甘えてるなんて僕は思ったことはありません。他の夫婦から見れば、どう見えるかわかりませんが、難病と付き合いながらの結婚生活ということを考えれば、十分に頑張っていると思います。先に帰った方が食事を作ればいいし、体調が良い方が家事をすればいいと思っています。僕は結婚する前に、両親の介護をした経験があるんですよ。だから、家事全般何でもできます。男性とか女性とか、夫とか妻とか…そんなことは関係なく、そのときに“できる方がやる”これでいいと思っているんです」
「勝彦さんが料理もされるんですか?!」
「しますよ。料理、楽しいじゃないですか!“男子、厨房に入らず”なんて、もう古いです(笑)」
「他にお二人の間で、日常生活で気をつけておられることはありますか?」
「特別なことはないのですが“言ったつもり”と“聞いたふり”はしない、ということはお互い気をつけていますね。相手に何かを話すときは、ちゃんと返事が返ってくるまで、相手の目を見て話すようにしています。夫婦の間で、会話が成立しなくなるということは、相手の存在をきちんと認めていないことになると思うんですね。だから、自分の伝えたいことは、途中であきらめず、ちゃんと相手に伝わるように努力するようにしています」
「あとは、ちゃんと“感謝”と“謝罪”をすることですね。当たり前のように思われますが、この二つが抜けてしまうと、夫婦関係だけではなく、人間関係が崩壊してしまうと思うんです。作ってもらった食事が美味しかったなら、必ず、相手に“美味しいよ”と言う。何かしてもらったら“ありがとう”と言う。迷惑をかけたら“ごめんなさい”と言う。当たり前のことですが、これを徹底するのは、結構難しいんです。でもね、ちゃんと“感謝”と“謝罪”をするということは、お互いに相手を尊重し、パートナーシップを築いていく上では必要不可欠だと思います」
気がつけば、あっという間に1時間半がたっていました。
楽しいお話、感動するお話、考えさせられるお話…
1時間半の間にお話しいただいた内容を要点だけを抽出して、インタビューとしてまとめましたが、まとめきれずに、省略させていただいたお話もたくさんあります。
ここに掲載できなかったお話は、ESPERANZAのお二人をお招きいただき、是非、素晴らしい演奏とともに、生でお聞きください。