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原 伸介 はらしんすけ

信濃白炭 炭師

信州の山中で炭を焼きつつ「かっこいい大人が増えれば若者は夢を持てる」という持論のもと、職人・一次産業のかっこよさを若者に伝える活動に命を燃やす。また、2007年冬「人生初の引きこもり経験」を経て、2008年より前向きになれずに苦しむ老若男女を笑顔で抱きしめる活動を開始。

音楽・芸術関係者 実践者
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原 伸介のプロフィール

■職歴・経歴
1972年横浜生まれ。1986年(14歳) 幼少期からずっと遊び場だった大好きな裏山(実家の裏の里山)が、中学校建設に伴い潰され、人生最大のショックを受ける。「いつかこの山に恩返しをするんだ」と決意。
1988年(16歳) 神奈川県立横須賀高校入学。将来は山に生きると決めていたので、入学直後に配られた「進路希望調査用紙」の「希望職業」欄に「仙人」と書く。周囲は否定と嘲笑の嵐。この時の悔しさから「自分は将来、ぜったい、夢を持つ若者の背中を押してやれる大人になるんだ」と決意する。
1991年(18歳) 仙人術を学ぶべく、信州大学農学部森林科学科に入学するものの、ほとんど山の現場に出ない講義ばかりの毎日に落胆。全く学校に行かなくなり、北海道へバイクで放浪の旅に出る。旅先で林業従事者の若者と出会い、山仕事の現場の魅力を説かれ、人生に希望を見いだす。
1995年(22歳) 全く講義に出ないまま大学を卒業。直後、痺れるほどかっこいい炭焼きの師匠に出会い、一目惚れして弟子入り。炭焼き修業が始まる。
1996年(23歳) 「絶対無理」「バカ」「時代錯誤」「炭焼きなんかで食えるか」という周囲の忠告と嘲笑を無視して独立。直後「お前に焼いてもらわなくても中国人に焼かせれば一日200円だ」と言った問屋にブチ切れて絶縁。原木の伐採・搬出から炭焼き・商品開発・営業・販売まで独りで行う。
1997年(24歳) 「売れない・食えない・眠れない」の三重苦の絶望の淵で、天からの「笑え!」の声に反応し、山の中で爆笑し、ピンチを切り抜ける。以来、つらくなるたびに爆笑を繰り返す。
1999年(26歳) 独立後三年で専業の炭焼き職人になる。
1999年~2002年(26~29歳) 技術を磨くべく信州各地をはじめ、和歌山・秋田・岩手・宮城・山梨・高知・宮崎にて炭焼き修行。 全国各地の名人(70代後半~80代)の生き様に痺れ、技術以上に人生を学ぶ。
2003年(30歳) 突然、炭の神様が降りてきて、爆笑・号泣を繰り返しつつ『ボクは炭焼き職人になった』を、二週間ほぼ不眠不休で書かされる。同作で【新風舎出版賞ノンフィクション部門優秀賞】を授賞。《修羅場の修行編》《怒濤の独立編》二冊同時刊行。
2005年(32歳) 一次産業の「魅力」と「きれいごとではすまない生々しい現実」を広く伝えるべく【百姓・職人衆《サムライ》】を立ち上げ、代表取乱役(だいひょうとりみだしやく)に就任。日本古来の知恵に学んだ行事復活の実践・発信を開始。
2006年(33歳) アルピニスト・野口健氏との合同講演会『若者よ、夢は仕事になるんだぜ~感動は、現場にある~』を開催。約千人の聴衆に、現場仕事の魅力とかっこよさを笑顔で伝える。
2007年(34歳) 親友・てんつくマンが提唱した、地球温暖化を止めるために全国に3000万部の号外を配る活動「チームGOGO!」に、長野県唯一の「百万番長」として参加。「熱くなれない人に寄り添う優しさを」をスローガンに信州各地で講演活動とカツアゲをしっぽりと行い、二百人以上の協力を得て、満願成就。
同年、『笑顔は無限力~仙人は今日も笑っています~』(文屋文庫)出版。
2008年(35歳) 1月・福岡トヨタ社員表彰式での講演で、全社員千人を前に、「トヨタが変われば日本が変わる。トヨタから日本中を笑顔にしましょう」と笑顔で伝える。5月・信越放送テレビドキュメンタリー番組『夢は叶う~炭焼き職人・原 伸介』が、同系列民放ネットワーク全国大会で部門別グランプリを受賞。主役は原 伸介ではなく、愛犬・ギン(紀州犬・♂4歳)。

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