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タイトル | |
私の原点『戦艦大和』 〜重油の海から〜 | ||
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| 八杉康夫(やすぎやすお)/戦艦大和語り部ネットワーク 戦艦大和生還者 海底の大和探索者 |
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| コンセプト/メッセージ | |
| 第二次大戦末期、不沈艦といわれた戦艦大和が米軍の攻撃を受けて沈没、奇跡的に救助されるまでをお話されます。60年の歳月が過ぎても今なお生々しいエピソードの数々は、全国各地の講演でも熱心に聞かれ、感動の涙を呼んでいます。 | |
| 内容 | |||
戦艦大和は、日本海軍が現在の金額で4000億円をかけて造った。全長263メートル。 「とてつもなく大きな鉄の城だった」。不沈戦艦といわれ「大和が沈む時は、日本が沈む時」とも言われた。 昭和二十年四月六日、米軍から沖縄を奪回するため出撃。しかし翌七日、九州南端に近い坊ノ岬沖で廷ベ一千機を超す米軍戦闘機の波状攻撃を受け、爆発沈没した。乗組員三千九人のうち生存者はわずか二百七十六人だった。 八杉さんは、十五歳で志願して海軍に入った時のこと、母親との最後の別れ、そして沖縄出撃から沈没するまでの状況を細かく話されます。 沖縄の海岸に座礁し、搭載している主砲などで米軍と対戦するのが戦艦大和に与えられた使命。つまり水上特攻だった。 測的発信手の八杉さんは、当時、世界最大の46センチ主砲から弾を撃つための距離測定をする役目。標的の進行方向などチェック項目を計算して射手、旋回手に伝えるため、大和の最も高い所にいた。 米軍機の攻撃を受けた時の天候は、低くたれこめた雲に遮られ、ほとんど視界がきかない最悪の状況。雲の中から攻撃してくるため、とうとう主砲は発射しないまま大和は傾き沈没した。 「周囲の水面が盛り上がり、最も高いところでは水面が六十メートルも膨れあがるほど大規模な爆発だった」 大和が沈む際に起きた巨大な渦に巻き込まれた。ようやく浮き上がると・・・ 「重油の海から顔だけ出していると、空から真っ赤な火花が降ってきた。何かと思ったら、焼けた鋼鉄で、漂流していた人を直撃し、スパッと頭が真っ二つに割れるのも見た」。 漂流中、イカダにつかまった十六歳の少年兵が疲れ果て、顔を海面につけながら眠りかけていた。「起きろ。死んでしまうぞ」「申し訳ありません」 しかし、また眠ろうとする。何度か繰り返していると上官が「もういい」と言い、少年はそのまま海の中へ沈んでいった。 救助された八杉さんは翌日、佐世保に戻った。「主砲を一発も撃てなかった無念さ、それ以外にはなかった」。戦死した仲間たちが並べられ、その上に桜の花びらが舞い教っていた。 ----------------- みなさんに一つだけお願いがあります。 平和な日本といわれながらも凶悪犯罪が続いています。戦後の教育がどこかで間違った。地域、社会、家庭教育を放棄した結果です。本当の平等、自由を教えませんでした。人間として生きることの意味すら教えていない。今からでも遅くないから教えてほしい。教えたら鍛えてください。享楽と平和を取り違えている。平和が欲しいなら義務が発生する。人間が生きることの意味を教えてください。生きたことの証しを残すように教えてほしい。 |
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| 実績・評価 | |
| ・お話を聞いて、平和ボケした今の若者に命の大切さを伝えたいと感じた。 (異業種交流会) ・体験されたことをもとに話されていること、戦争の悲惨さを生の声で語られていること等 話にひきこまれた。 (大学創立周年記念事業) ・年齢をかんじさせない『ハリ』のある声で、実体験を本に話されているので、説得力がある講演であった。 (自動車関連) ・戦争を知らない世代です。胸をえぐられる思いがしました。涙が止まりません。一番驚いたのは、上官が「生きろ!」と教え続けていたことです。「死ね!お国のために」と言われていると思っていました。また、今日心に残ったのは、出てこられた瞬間の八杉氏の明るい顔です。 感動しました。自分の人生で起こったことを、このように後世の世代の人に伝える生き方に本当に感動しました。今日のお話の中で何を得た!というより、考えるきっかけになりました。 「頼みましたよ」と八杉氏からバトンを渡されたと思います。自分の想いをのせて、伝えられることを伝えて、次の世代に平和の大切さを考えるきっかけになることを、八杉氏のように伝えていける人間になりたいと思います。 ・すごくいい話を聞かせてもらいました。26歳ですが、これから次の世代へと伝え・伝わり・・何かの役に立てればいいなぁと思いました。 ・「男たちの大和」の映画を思い出しながら、生々しい経験談を聞かせていただき有難うございました。 ・戦争と平和について、人生観・意見・心を若い人たちに伝えていくことに努力したいと思いました。地域の平和・家の平和をいろいろ考えました。 ・極限の体験を聞かせていただき、有難うございました。平和な国の原点は、戦争というものがあったことをもっと知らさなくては!と思いました。 ・「いのち」の尊さを訴える集いとして、主旨にピッタリでした。皆さん感動して聞いておられました。一日一日生きることを大切にされているその姿が一挙一投足に現れており、大変教えられました。 ■実績例 立正佼成会高山教会/一般の方々/「私の原点『戦艦大和』〜重油の海から」 三郷町役場/平和のつどい/「私の原点『戦艦大和』〜重油の海から〜」 |
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| プロフィール | ||
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太平洋戦争末期の1945年、戦艦「大和」で沖縄に出撃。米軍機の大群に襲われ、奇跡的生還者276名(3009名中)のうちの1人。同年8月には、陸戦隊班長として原爆投下翌日の広島に入り被爆した。原爆症を抱えながら“戦争の実相を語り、平和・命の尊さを伝える”ために奔走中。
■職歴・経歴 1927年広島県福山市生まれ。1941年、旧制中学在学中に大東亜戦争勃発。 1943年に海軍少年兵を志願し、15歳で海兵団に入団。 1945年に戦艦大和乗組員となる。 同年4月6日、米軍から沖縄を奪回するため出撃し、翌7日に延べ1000機を超す米軍艦載機の波状攻撃を受け、爆発沈没した。 「帝国軍人として国のために死ね」と指導し続けた上官に、「若者には未来がある。頑張って生き続けろ。」と身を犠牲にして救けられる。長い漂流の末に奇跡的に生還。 その後、母港の広島・呉に帰還し、本土決戦部隊に転属、原爆投下直後の広島の救援活動に入り被爆。 1955年頃から戦艦大和の資料集めに奔走。 1980年、第1次戦艦大和探索を開始。 1985年の第4次探索で海底の大和の全貌映像化に成功。 戦後50年の頃から乗艦体験を語り始める。次々に無残な最期を遂げた“地獄の世界”を語るのはあまりに辛いが、少年犯罪が氾濫する現代社会に対して「生命の尊厳」を語る責務を痛感。 戦争を繰り返す人間の愚かさを語り、地域社会・学校・家庭教育において、真のモラルや真の自由・平等について教育放棄した功罪を訴える。凶悪犯罪が氾濫し、享楽と平和を取り違えているかのような現代社会に確かな一石を投じる。 ■著書 『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』(ワック) ■DVD 『戦艦大和の最期 乗組員八杉康夫の証言』(ワック) |
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