人生100年時代。定年や転職を機に「第二の人生」をどう歩むかは、多くのビジネスパーソンにとって切実なテーマです。30年間、NHKのアナウンサーとして第一線で活躍し、『クローズアップ現代』のキャスターも務めた内多勝康さんは、52歳で安定したキャリアを捨て、未知なる医療福祉の世界へと飛び込みました。

なぜ内多さんは、誰もが羨む地位を離れ、福祉の現場を選んだのか。新しい世界へ踏み出すための「学び直し」の苦労、そして現在取り組んでいるインクルーシブな社会実現に向けた挑戦について、じっくりとお話を伺いました。

※本記事の内容は2026年3月時点のものです。

アナウンサー時代の30年間と、福祉との意外な接点

――まず、NHKに入局された経緯からお教えいただけますか?

内多 大学では教育学部に学び、教員免許も取得しました。しかし、幼少期からテレビが大好きで、野球中継やアニメ、ドキュメンタリーから多大な影響を受けて育ったんです。「今度は自分が作る側に回って、誰かに感動や価値観を届けたい」と思うようになり、就職ではテレビ局を志望しました。

実は、最初からアナウンサーを目指していたわけではありません。裏方のディレクター志望だったんです。ところが、NHKのエントリーシートで、つい「第二希望:アナウンサー」と書いてしまったのが運命の分かれ道。思いがけずアナウンサーとして採用され、私のキャリアがスタートしました。

――アナウンサーとしての30年間で、どのようなことを学ばれましたか?

内多 地方への転勤を繰り返す中で、東京育ちの自分の価値観がいかに偏っていたかを痛感しました。各地の文化や人柄に触れ、著名人から地域で地道に活動する方まで、数多くの方々にインタビューをさせていただいたことは、何にも代えがたい財産です 。

また、ディレクター志望だったこともあり、アナウンサー業務の傍らで番組の企画・制作にも携わりました。この「現場を取材し、伝える」という経験が、後に福祉の世界へ進む際の大切な基盤となりました

――福祉の世界に関心を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?

内多 初任地の高松放送局時代、地元のボランティア協会が主催する「サンサン祭り」というイベントの司会を担当したことが最初です。そこの事務局長が脳性麻痺の女性で、彼女の強いリーダーシップや周囲との温かなつながりに衝撃を受けました。

それまで家族や友人に障害のある人がおらず、福祉に無縁だった私は、彼女を通じて初めて「障害福祉」というフィールドに出会いました。以来、放送人として社会の矛盾が凝縮された福祉の現場を取材し、発信することが私のライフワークの一つになっていったのです 。

50代での決断:第二の人生を踏み出すための「葛藤と学び」

▲「もみじの家」で勤務していたときの写真(画像:ご本人提供)

――報道の最前線から転職を決意された理由を教えてください。

内多 大きな転機は2013年、『クローズアップ現代』でキャスターを務めていた時に、人工呼吸器による呼吸管理などが必要な「医療的ケア児」を特集したことです。昼夜を問わず24時間続くケアに追われ、孤立する家族の壮絶な現実を目の当たりにしました

その後、番組を降板し、自分のキャリアの「先」が見えてきた時期でもありました。そんな折、国立成育医療研究センター内に医療的ケア児の短期入所施設「もみじの家」ができるという情報を得たんです。施設を運営する「ハウスマネージャー」という職を募集していると知り、心が激しく動きました。ずっとアナウンサーとして第一線で活躍していれば、転職は考えなかったかもしれません。ただ、当時は将来に向かってだんだん閉じていくイメージだったので、今度は自分が現場の一員として、医療的ケア児の家族を継続的に支えることで、やりがいや生きがいがまたできるのではないかと思い、30年勤めたNHKを去る決意をしました。52歳の時です。

――新しい世界に飛び込むにあたって、不安や葛藤はありませんでしたか?

内多 転職前は、実は、ハウスマネージャーが何をする仕事なのかよく分かっていなかったため、不安を感じることもありませんでした。定年後に役立つと思い、「社会福祉士」の国家資格を取得していましたが、これも一つの武器になりましたね。

本当の苦労は入職した後に始まりました。アナウンサー時代はワード(Word)さえできれば仕事になりましたが、ハウスマネージャーの仕事は収支計画の策定や寄付集め、広報など、多岐にわたります。エクセル(Excel)やパワーポイント(PowerPoint)も全く使えず、最初は若手スタッフに手伝ってもらう「使えない新人」の状態。あまりの仕事のできなさに、時々後悔することもありました。しかし、一年かけて一通りのサイクルを経験し、周囲に教わりながらキャッチアップしていきました。まさに必死の「学び直し」でしたね。

福祉の現場から見える社会:医療的ケア児と家族の孤立

――「もみじの家」での活動を通して感じた課題を教えてください。

内多  医療的ケア児の家族、特にお母さん方は、文字通り「24時間365日」介護から離れられません。ゴミ出しに行くわずかな間でも、戻った時に医療用アラームが鳴っていてヒヤリとする。そんな日常が続くと、心身ともに疲弊し、社会から完全に孤立してしまいます
あるお母さんが、子どもを施設に預けた初日に「ゆっくり座ってお茶を飲むのは何年ぶりかしら」と仰ったのが忘れられません。今の日本で、これほどまでに過酷な状況にある家族がいるという現実は、決して見過ごしてはいけないものです 。

――家族だけでなく、社会全体で支えていくためには何が必要でしょうか?

内多  福祉サービスを充実させることはもちろんですが、それ以上に「地域の中でのつながり」が重要です。保育園や学校での受け入れが進まず、退院しても地域に居場所がないケースが多々あります。医療的ケアが必要な人たちが地域に存在していることを知り、彼らが日常の中に自然に溶け込める社会を作っていくこと。それが私の願いです。

誰もが野球選手になれる社会を目指して

▲「ウルトラ・ユニバーサル野球」で実況を行う内多さん(画像:ご本人提供)

――現在活動されている「ウルトラ・ユニバーサル野球」について教えてください。

内多  定年退職して1年後「一般社団法人ソーシャルアクションジャパン」を立ち上げました。今、特に力を入れているのが「ウルトラ・ユニバーサル野球」です。 元々、実物の20分の1の球場で誰でも野球を楽しめる「ユニバーサル野球」という活動がありました。そこに視線入力などの最新テクノロジーを掛け合わせることで、重度の障害があり寝たきりの状態でも、目の動きやわずかな指の動きだけでバットを操作し、野球ができるようにしたものです。

――参加者の反応はいかがですか?

内多 「まさか自分の子が野球選手になれる日が来るなんて」「しかもそれを全力で応援できる日が来るなんて」と、ご家族が熱狂し、心から喜んでくださいます。その姿を見て、これは毎年開催しなければと思い、法人を立ち上げ、今では全国からたくさんのチームが参加するまで広がってきました。その中で、私自身何ができるだろうと考えた時、かつて高校野球の実況をしていた経験を活かし、大会で実況中継を付けました。これが、みなさん非常に喜んでくださって私も嬉しくなりました。

こうやって、障害者スポーツの実践者、ITのプロの方、たくさんのボランティアの人たち、そして私も実況というカタチでみんなが繋がることで、これまで野球選手になれるなんて思ってなかった人たちが夢を叶えてしまうという奇跡を見せてもらっています。

適切な環境と支援さえあれば、どんなに重い障害があっても人は活躍できる。野球という分かりやすいスポーツを通して、その可能性を社会に発信していきたいと考えています。

一歩踏み出す勇気が社会を変える~「誰もが主役になれる未来」を目指して

▲講演では「一歩踏み出す勇気」を力強く伝える(画像:ご本人提供)

――現在、精力的に行われている講演活動では、どのようなメッセージを届けていきたいですか?

内多 医療福祉の最前線で起きている現実を伝えるとともに、キャリアに悩むビジネスパーソンの方々には、特に「一歩踏み出す勇気」をお伝えしたいと考えています。私自身、50代で全くの異業種に飛び込み、慣れないPCスキルに四苦八苦しながらも、今、これまでにないワクワク感を持って活動しています。

「自分に何ができるだろうか」とモヤモヤしている方は多いはずです。でも、頭で考えるだけでは景色は変わりません。現場に飛び込む、寄付をする、あるいはボランティアとして関わる。やり方は何でもいい。大切なのは、具体的なアクションを起こして「現場」とつながることです。その小さな一歩が、結果として自分自身の「第二の人生」を豊かにし、社会を動かす力になると信じています。

――そんな内多さんが描く、これからの「夢」についてもお聞かせください。

内多 私の今の大きな夢は、この「ウルトラ・ユニバーサル野球」を通して、世界中の難病や重度障害の子たちが活躍できるという事実を、世界中に発信することです。

テクノロジーを活用すれば、たとえ身体を動かすことが難しくても、コミュニケーションを豊かにし、スポーツの熱狂の主役になることができます。「まさか自分の子が野球選手になれる日が来るなんて」と涙を流す親御さんの姿を見るたび、この活動の意義を痛感します。
近い将来、海外の子供たちともオンラインで結び、国境を越えた国際交流試合を開催したいと考えています。

この野球大会を起点に、「適切な環境さえ整えば、どんなに重い障害があっても人は社会の一員として受け入れられ、輝くことができる」というメッセージを、世界中に響かせていきたい。それが、報道の世界から福祉の世界へと舵を切った私の、現時点での集大成であり、一生をかけて追いかけたい夢ですね。
――貴重なお話ありがとうございました。

編集後記
報道の世界で「伝える」プロだった内多さんが、今は現場で「支える」プロとして、そして再び「実況」というスキルを携えて福祉を「伝える」側へと回る。その一貫した情熱と、50代で「使えない新人」になることを厭わなかった謙虚な姿勢に、多くの刺激をいただきました。「人生100年時代」をどう生きるか。内多さんの歩みは、セカンドキャリアに悩むすべての人にとって、力強い指針となるはずです。公共団体や企業での、多様性理解やキャリアデザインをテーマにした講演にも最適な講師です。

 

内多勝康 うちだかつやす

一般社団法人ソーシャルアクションジャパン 代表理事 元NHKアナウンサー 社会福祉士

30年間NHKアナウンサーとしてニュースキャスターを務め、福祉問題に積極的に携わる。第2の人生の夢を叶えるため社会福祉士の資格を取得し、2016年に転身。53歳の新人として、医療的ケア児の施設で奮闘する様子が注目される。独立後、難病や障害があっても個性を発揮できる社会実現へ向け尽力。

講師ジャンル
ビジネス教養 ライフプラン
ソフトスキル コミュニケーション

プランタイトル

人生100年時代のセカンドキャリア
~マスコミから福祉の世界へ~

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