
貧困、ヤングケアラー、虐待など、困難な環境に置かれた子どもや若者が多く存在する現代社会。そのような子ども達が、再び生きる目標を取り戻し、前に進むにはどうすればいいのでしょうか?
今回は、ご自身が夜逃げ、ネグレクト、いじめ、DV、虐待など、壮絶な「どん底」を経験しながらもそこからはい上がり、現在は家庭教師「はい上がり先生」として、同じような境遇の子ども達に寄り添い続けている宮坂智恵子(みやさか・ちえこ)さんにお話を伺いました。困難な状況に置かれた子ども達が再び前を向くプロセスと、生きぬく力を育てるための「学び」について教えていただきます。
※本記事の内容は2026年4月時点のものです。
母のギャンブル、1億円の借金、そして「夜逃げ」
――宮坂さんの子ども時代は、どのような家庭環境だったのでしょうか?
宮坂 私が生まれた時、家にはすでに3000万円の借金がありました。母のギャンブル依存症が原因です。パチンコなどのギャンブルにのめり込み、勝敗で精神状態が激しく不安定でした。日常的な虐待もあり、幼稚園の時にコンクリートに突き飛ばされて尾てい骨を陥没しましたが、病院には一度も連れて行ってもらえませんでした。今も私の体には、折れて固まったくるぶしや陥没した骨など、当時の傷が残っています。
そんな中、小学校5年生の時に借金が1億円を超え、母と二人で横浜から「夜逃げ」をすることになりました。母は父に借金を押し付け、行き先も告げられず、大好きだった愛犬のムックとも引き離され…。愛知県の山奥や静岡などを母と二人で転々とする生活が始まりました。

▲小学生の卒業式にて。「ボロボロの長屋の前で母親に無理矢理お願いして撮ってもらった」と宮坂さん(画像:ご本人提供)
――一番つらかったのは、どのようなことでしたか?
宮坂 精神的な孤独と、貧困の苦しみです。転校先の名古屋では、お風呂にも入れない不衛生な格好をしていたため、壮絶ないじめに遭いました。ランドセルさえ「邪魔」だと言われ、クラス全員から無視される毎日。名古屋のボロ家は電気もガスも水道も止まったボロボロの長屋で、腐りかけた惣菜を食べて空腹をしのいでいました。
一番の絶望は、盲腸が破裂して死にかけた時です。激痛で動けない私を、母は「仮病を使うな」と怒鳴り、数週間も放置しました。最終的に救急搬送された時は意識不明で、医師からは「あと3日遅ければ死んでいた」と言われました。盲腸が破裂し、その膿や血液が体内に溜まって命の危機に瀕していたのです。それでも母は、病室で私の痛みを笑っていました。
孤独を救った「一冊の漫画」と「先生の優しさ」
――そんな過酷な状況の中で、心の支えになったものはありましたか?
宮坂 入院中に出会った内科の先生です。当時、私にはお見舞いに来る人が一人もいませんでした。そんな私を見かねて、その先生は診察でもないのに「暇なんだよね」と言って私の病室に来てくれました。先生は、私が売店で買ってもらった唯一の楽しみである『動物のお医者さん』という漫画を「俺もこれ好きなんだ、読ませてよ」と言って、一緒に読んでくれたのです。
大病院の忙しい先生が、ただ私に会いに来てくれる。その時間がどれほど嬉しかったか。その先生のおかげで、私は「自分を気にかけてくれる人がいる」と、孤独な世界に光を見出すことができました。
「お前みたいなバカ」をバネに。偏差値の壁を超えた不屈の努力

▲中学にやっと通えるようになって初めて制服に腕を通した時のもの。「サイズの合ってない制服でも嬉しかった」と当時を振り返る(画像:ご本人提供)
――「もうダメかもしれない」と思った瞬間から、再び前を向くまでにどのような変化があったのでしょうか?
宮坂 中学校でのある「屈辱」が、私を勉強へと向かわせました。当時は自分の名前すらローマ字で書けないほど学力が低かったのですが、進路希望でふと耳にした県内屈指の新学校「沼津東高校に行きたい」と言ってしまったのです。すると担任の先生が、「お前みたいなバカが行けるわけないだろう!」と激昂し、教室を出て行ってしまいました。
その瞬間、「勉強ができるようになれば、自分を認めてもらえるのではないか」という思いが湧き上がったのです。
――そこで奮起して、どのように勉強されたのでしょうか?
宮坂 当時、父は各地を転々として肉体労働をしていましたが、なんとか工面して女性の家庭教師の先生をつけてくれました。この先生との出会いが、私の運命を変えました。彼女は私の学力だけでなく、生い立ちや心の闇をすべて受け止めてくれたんです。私は当時、母への恐怖や孤独な思いを日記に綴っていましたが、先生はそれを読み、否定せずに共感してくれました。「この人になら全部喋れる」と思える大人に出会えたのは、人生で初めてのことでした。
――実際の学習はどのように進められたのですか?
宮坂 中学2年生でしたが、小学校の教科書からやり直しました。家庭教師の先生が来る日は限られていたので、わからないところをすべて書き出し、先生がいない間も1日8時間の猛勉強を続けました。
――凄まじい集中力ですね。当時の生活環境はどのようなものでしたか?
宮坂 環境は劣悪でした。母は夜の10時、11時までパチンコで帰ってきません。家のお風呂は床から天井まで黒カビに覆われていてろくに入ることもできず、お腹が空いてどうしようもなくなると、街のタウンページでパチンコ屋を一軒一軒調べて電話をかけ、「うちのお母さんいませんか? お腹が空いたから何か買ってきてと伝えてください」と店内放送を頼む。そんな惨めな思いをしながら、それでも「先生に認められたい」「今の環境から這い上がりたい」という一心で、ひたすら机に向かいました。
結果、周囲からは不可能と言われた沼津東高校に合格することができたのです。学力が上がると周囲の目も変わり、いじめもなくなりました。「学び」が、私の人生を塗り替える強力な武器になったのです。
学ぶことは「生き抜くための武器」を手に入れること
――生きる目標を取り戻すために、学習へ導くのはなぜでしょうか?
宮坂 「知識」は自分を守る最大の防護服になるからです。私は母の死後、莫大な借金を一人で相続放棄する手続きを行いましたが、これも勉強していたからこそできたことです。知識がなければ、書類一枚書くことも怖く、一生搾取され続けていたかもしれません。
また、困難な環境にいる子は「自分なんてどうせダメだ」と、自己肯定感が底をついています。しかし、昨日までわからなかった問題が解けるようになる成功体験は、誰にも奪えない自信になります。勉強ができるようになれば、選べる未来の選択肢が格段に増えるのです。
――「宮坂メソッド」とは、どのような学習法なのですか?
宮坂 一言で言えば「勉強らしくない勉強」です。私自身、勉強が嫌いだったので、暗記をリズムゲームにしたり、漢字を書く際も色や向き、大きさをあえてバラバラにして書かせたりします。
これは、単なる「作業」になりがちな書き取りを、脳をフル回転させる「能動的な活動」に変えるためです。「色を変えなきゃ」「向きを考えなきゃ」と書くことに集中しているうちに、いつの間にか漢字を覚えてしまっている。
また、何を書くかよりも「何を読み取るか」という読解力を重視します。SNSのメッセージ一つで傷つく今の子どもたちにとって、言葉の裏側にある意味を正しく読み取る力は、人間関係を生き抜くために不可欠な能力です。
大人が気づくべき「サイレント・サイン」

▲イメージ画像
――現在はどのような想いで活動されているのでしょうか?
宮坂 現在、静岡県内を中心に家庭教師の「リスタ」を運営しています。「リスタ」という名前は、「リスタディ(再学習)」から「リスタート(再出発)」へ、という願いを込めてつけました。私自身が勉強を通じて人生を変えられたように、学びを武器にして、困難な状況にいる子どもたちが自分の人生を自分の手で取り戻せるようにサポートしています。
――「家庭教師」の枠に収まらない活動をされているそうですね。
宮坂 そうですね。一般的な家庭教師のイメージとは少し違うかもしれません。私は、子どもたちにとっての「何でも屋さん」のような存在でありたいと思っています。ある時は学校まで子どもを迎えに行き、ある時はお母さんに頼まれて一緒に虫取りに行き、またある時は逆上がりの練習や習字、リコーダーの練習まで一緒にやります。
――なぜそこまで幅広く関わられるのですか?
宮坂 私が全教科・全科目を一人で教えることにこだわっているのも同じ理由です。一人の大人がその子の人生のあらゆる側面に深く関わることで、初めて揺るぎない信頼関係が築ける。かつて私が家庭教師の先生に救われた時のように、「この人なら何を言っても大丈夫だ」という絶対的な安心感を提供したいんです。

▲宮坂さんは、定期的にボランティアでヤングケアラーのお子さんと家族の相談にものっている(画像:ご本人提供)
――行政との連携も積極的に行っていると伺いました。
宮坂 はい。現在は行政の支援窓口とも密に連携しています。深刻な家庭環境にあり、自立を急ぐ必要がある子には、大学進学を勧めて「家を出るためのチケット」として学力をつける提案をすることもあります。また、夜中の12時に警察に保護された子から「宮坂先生となら喋る」と指名されて会いに行くこともあります。行政だけではカバーしきれない、深夜や早朝といった隙間の時間にこそ、子どもたちの叫びが潜んでいるからです。
――そこまでの献身的な活動を支える原動力は何でしょうか?
宮坂 「(子どもたちに)かつての私と同じ想いをさせたくない」という一点に尽きます。私は母を自殺で亡くしました。母はギャンブル依存という心の病を抱えていたのかもしれません。誰にも相談できず、最後は私の名義の車で海に飛び込んでしまった。
あの時、誰かが母を、そして私たち家族を救ってくれていれば……。そんな後悔があるからこそ、今は行政と協力しながら、家族全体が抱える「根本的な闇」に光を当て、悲劇を未然に防ぎたいと考えています。
――今の子どもを取り巻く環境で、特に気になっていることはありますか?
宮坂 今、社会問題になっている「トー横キッズ」のような子どもたちの孤独は、かつての私そのものです。居場所がなく、深夜に街を彷徨う危うさ。また、子どもの自殺の増加は深刻です。死んでも何も解決しない。残された家族には一生癒えない傷が残ります。
――大人や社会ができることは、具体的にどのようなことでしょうか。
宮坂 子どもは必ずサインを出しています。急な体型の変化、髪を派手な色にする、不自然なピアスの穴。私自身、学生時代にピアスの穴を20個近く開けましたが、それは「気づいてほしい」という自傷行為に近い叫びでした。
大人は「おしゃれだから」と決めつけず、多角的な視点で関わることが重要です。片方の意見だけでなく、両親、本人、周りの友達。あらゆる方向から話を聞かないと、真実は見えません。
また、決して子ども一人を解決しようとしないこと。問題の根本は家庭環境にあることが多いですが、その親もまた、苦しみを抱えている場合があります。行政や社会が家族全体の問題として介入し、子どもが「声を上げていいんだ」と思える安心できる場所を作ることが急務です。
講演を通して伝えたい「あなたは一人ではない」という言葉

▲2025年6月開催の静岡県伊豆の国市で行われた社会福祉大会で自身の経験を力強く語った(画像:ご本人提供)
――宮坂さんの講演会は、どのような方に聞いてほしいですか?
宮坂 教育関係者や行政の方々はもちろんですが、今まさに「死にたい」ほどの苦しみの中にいる若者たちにも届いてほしいです。私は夜逃げ、虐待、ホームレス生活、そして二度のDV離婚を経て、24歳でシングルマザーとしてどん底にいました。それでも、40代になった今は笑って生きています。
――講演を通して、どのような社会を目指していきたいとお考えですか?
宮坂 子どもたちが「生きていていいんだ」と心から思える社会です。私が講演で赤裸々に過去を話すと、聴講者の方が「実は私も……」と涙ながらに打ち明けてくださることがあります。誰かが声を上げることで、周りの人も「自分も話していいんだ」と勇気を持つ。その連鎖が、沈黙の中にいる子どもたちを救い出す第一歩になると信じています。
過去の自分が必要とした大人に。はい上がり先生が描く未来の夢
――最後に、宮坂さんのこれからの「夢」を教えてください。
宮坂 私の夢は、かつての子ども時代の私が必要としていた「大人」になることです。
立派なお手本ではなく、泥水をすするような経験をしてきたからこそ、同じ泥の中にいる子の手を取ることができる大人。そんな存在が一人いるだけで、子どもの運命は変わります。
誰かを助けることで、実は私自身も救われています。教え子が卒業して刑事になったり、政治家を志したりして、かつての表情からは想像もつかないほどキラキラした笑顔で連絡をくれる時、私は心から「この活動を続けていて良かった」と感じます。
一人でも多くの子どもたちが、「生きていてよかった」と心から思える再スタートを切れるよう、私はこれからも「はい上がり先生」として走り続けたいですね。
宮坂智恵子 みやさかちえこ
家庭教師のリスタ代表

虐待や貧困、不登校などを乗り越えた「はい上がり先生」として子どもたちに寄り添う家庭教師。テスト1桁から進学校に進んだ独自の勉強法や、どん底を生き抜いた「生きぬき力」を軸に、学力だけでなく、困難を抱える子どもたちの再スタートを支援する。生きる力やヤングケアラーなどをテーマにした講演も好評。
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講師ジャンル
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社会啓発 | 教育・青少年育成 | 福祉・介護 |
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プランタイトル
ヤングケアラーについて知ってほしい
~ギャンブル依存症の親に奪われた青春~
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