
蒼穹を自在に駆け抜け、白いスモークで巨大なキャンバスに描き出すブルーインパルス。その一瞬の感動を、同じ空から切り取る一人の写真家がいます。
航空写真家の黒澤英介さんです。
現在、ブルーインパルスのガイドブック等の撮影を一手に引き受ける黒澤さんの人生は、まさに不屈の挑戦の連続でした。
幼少期の事故による左目の失明、いじめ、そして一度は断たれた自衛官への夢。幾多の困難を乗り越え、なぜ黒澤さんは「空」を追い続けることができたのか。
その「発想の転換」と「行動力」の秘密、震災を経て見えた地域の人々のブルーへの想いと、「希望の翼」を撮り続ける心情を熱く語っていただきました。
※本記事の内容は2026年5月時点のものです。
夢の挫折と「写真」という一筋の光
――まずは、黒澤さんとブルーインパルスとの出会いから教えてください。
黒澤 初めての出会いは1981年、私が11歳の時でした。母の実家が宮城県の松島基地のすぐそばにあり、夏休みに遊びに行くと、そこには翌年のデビューを控えた二代目ブルーインパルス「T-2」が、6機編成でスモークを吐きながら練習していたんです。それまで野球少年だった私は、飛行機には全く興味がなかったのですが、その光景を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けました。「あれは何なんだ!?」と。その日から私の頭の中はブルーインパルス一色になりました。

▲小学5年生の時、最初に撮ったブルーインパルス(画像:黒澤さん提供)
――しかし、その時すでに左目を失明されていたのですね。
黒澤 はい。5歳の時、夏休みに父の実家で花火をしていた際、筒状の花火が暴発して左目を直撃しました。水晶体が破れ、手術を繰り返しましたが視力は戻りませんでした。子供心に「これが普通の見え方なんだ」と受け入れて生活していましたが、本当の意味での「壁」にぶつかったのは、将来を考え始めた高校生の時でした。
――自衛隊への入隊を希望された時ですね。
黒澤 そうです。私の夢は、パイロットではなく、ブルーインパルスの「整備員」になることでした。航空祭で機体に潜り込み、誇りを持って整備し、誘導する隊員たちの姿がたまらなく格好良かった。高校3年生の入隊説明会で、真っ先に航空自衛隊の列に並び、情熱を伝えました。しかし、そこで告げられたのは「危険な整備作業では、片目が見えないと危険も多くなり事故に繋がるといけないから任せることはできない」という無情な宣告でした。目の前が真っ暗になりました。整備員になってブルーのそばで生きる自分しかイメージしていませんでしたから。
――その絶望から、どのようにして写真の道を見出したのでしょうか。
黒澤 その日はひどく落ち込みました。しかし、私は根っからのプラス思考だったようです。自宅に帰り、「整備員になれないのなら、どうすればブルーのそばにいられるか」を必死に考えました。その時、ふと手元にあったカメラと、これまで撮りためた写真が目に入りました。
当時からブルーを追いかけて撮っていましたが、その感動を形にして伝える「航空写真家」という道があるじゃないか、と。整備員としてではなく、写真家としてブルーに近づこう。そう決めた瞬間、新しい夢が動き出しました。翌日にはもう、写真科のある仙台の専門学校へ進路を切り替えていました。

▲高校2年9月に撮影した作品。宮城県高等学校写真部作品展にて銀賞に入賞(画像:黒澤さん提供)
夢を掴むための「逆算」と「行動力」 13年の時を経て
――専門学校卒業後、すぐに航空写真家になれたわけではなかったそうですね。
黒澤 ええ。まずは地元の出版社に入社しました。そこでは車の雑誌やモデル撮影など、あらゆるジャンルの撮影をこなし、技術を磨きました。平日は会社のカメラマン、休日は自衛隊の基地へ通い、ブルーを撮り続ける。そんな二足のわらじを約10年続けました。29歳でフリーランスとして独立しましたが、航空写真だけで食べていけるほど甘い世界ではありません。ホテルのブライダル撮影などで食いつなぎながら、作品を出版社へ持ち込み続けました。
――「空撮(アクロバット飛行中の機内撮影)」への挑戦は、どのように始まったのですか。
黒澤 実は、まだ23歳の会社員時代に、一度防衛庁(当時)へ直談判に行ったことがあります。「ブルーに乗せてください」と。当然、「実績も何もない若造を乗せるわけにはいかない」と断られました。
しかし、そこで出会った憧れのパイロットの方が言ってくれたんです。
「君の情熱は本物だ。自分を信じて実績を積みなさい。必ず道は開ける」と。
その言葉を支えに、そこからさらに実績を積み上げ、2006年、ついに正式な空撮の許可が下りました。最初の直談判から13年が経っていました。
――ついに掴んだ空撮。しかし、身体的な過酷さは相当なものだったとお聞きしました。
黒澤 凄まじいですよ。5Gという、体重の5倍の重力がかかる世界です。私の体重なら350kg以上の負荷がかかります。腕を上げることすら困難で、指一本動かすのも一苦労です。しかも、私はひどい乗り物酔い体質で、最初は着陸するたびに控室で倒れ、吐き続ける日々でした。パイロットたちが通る前でぐったりしている自分が情けなくて、これでは「もう乗せるな」と言われるんじゃないかと不安でたまらなくなりました。

▲2006年初の空撮での1枚。垂直上昇するブルーインパルスのフォルムが美しい(画像:黒澤さん提供)
――その苦しみをどう乗り越えたのですか。
黒澤 ある時、パイロットに正直に打ち明けたんです。「こんなに吐いているカメラマンを乗せるのは、迷惑ではありませんか?」と。すると彼は笑って言いました。
「黒澤くん、俺たちだってきついんだ。これだけのGの中で、一度も機体を傷つけず、最高の写真を撮って、安全に戻ってくる。君が下でどれだけ吐こうが、俺たちは君を尊敬しているし、一緒に飛びたいと思っているよ」と。
その言葉で、憑き物が落ちたようにメンタルが変わりました。「酔ってもいい、吐いてもいい。それも含めて自分なんだ」と受け入れた途端、不思議なことに酔わなくなった。
メンタルが肉体に与える影響の大きさを、身をもって学びました。
――念願叶ってブルーインパルスの後席に搭乗し、撮影された時の心境はいかがでしたか?
黒澤 キャノピー(風防)越しに見る青い空と、隣りを飛ぶ僚機の美しさ……。あの時、涙が止まりませんでした。整備員としては叶わなかったけれど、写真家として同じ空を飛んでいる。「ああ、諦めなくて本当によかった」と心の底から思いました。遠回りをしたけれど、夢の形を変えて、私はついに目的地に辿り着いたんだと実感した瞬間でした。
被災地の空から見えた「現実」祈りとしてのシャッター

―2011年の東日本大震災では、ご自身も被災されていますね。
黒澤 仙台の自宅で被災しました。母の実家がある東松島の大曲浜地区は壊滅し、親戚の家もすべて流されました。情報が途絶える中、ラジオで「松島基地の機体が流された」と聞いた時は、頭の中が真っ白になりました。震災から2週間後、泥にまみれた基地に足を踏み入れましたが、そこにはかつての美しい風景はありませんでした。

▲松島基地内にあったブルーインパルスの展示室も被災した(画像:黒澤さん提供)
――その状況下で、写真を撮ることに葛藤はなかったのでしょうか。
黒澤 ありました。「こんな時に写真を撮っていていいのか」と。しかし、泥だらけになって復旧活動に当たる自衛官たちの姿を見て、これこそが「今、残すべき記録だ」と確信しました。
忘れられない言葉があります。地元のおばあさんが、静まり返った空を見上げて寂しそうに言ったんです。「前は飛行機の音がうるさいと思ったこともあったけど、いざ音がなくなってみると本当に寂しい。空にブルーが飛んでいないと、明日が来る気がしないんだよ」と。
ブルーインパルスは、単なるアクロバットチームではなく、地域の人々にとって「日常」そのものであり、「希望」だった。私の写真は、その希望を繋ぐためにあるのだと、覚悟が決まりました。
挑戦するすべての人へ伝えたいメッセージ

▲ブルーインパルスへの熱い思いと夢を諦めない大切さを説く黒澤さん(画像:黒澤さん提供)
――現在、全国で講演活動も行っていますが、どのような方に聞いてほしいですか。
黒澤 夢を追う学生はもちろんですが、日々ストレスと戦っているビジネスパーソン、そして組織を率いるリーダーの方々にも聞いていただきたいです。
私の人生は「失ったもの」から始まりましたが、実は「失った」と思っていた場所から、新しい景色が見えたんです。 「片目が見えないから無理だ」と諦めるのではなく、「片目でも車が運転できる。ファインダーは右目でのぞく。じゃあ、何も問題ないじゃないか」と。ないものを嘆くのではなく、今あるものをどう活かすか。その視点を持つだけで、人生は劇的に変わります。
――講演を通して、どのような社会を目指していきたいですか?
黒澤 「支え合い」を実感できる社会です。私の夢が叶ったのは、私一人の力ではありません。家族や友人、そして厳しい言葉で私を導いてくれた自衛隊の方々。人は一人では生きられません。
私の母が20歳の成人の日に贈ってくれた手紙に、こんな言葉がありました。「人に優しく、人に思いやりを。人を愛し、人を憎まず。この言葉を胸に生きれば、必ず良い人生が送れる」と。 現代はSNSなどで個人が分断されがちな時代ですが、だからこそ見上げる空の下で、みんなが一つになれる瞬間を作りたい。空を見上げると、胸が開いて自然と前向きになれる。そんな「希望の空」を、写真と講演を通じて広げていきたいと思っています。
――最後に黒澤英介さんの夢を教えて下さい。
黒澤 私の夢は、体が続く限りブルーインパルスを撮り続けることです。航空写真家の世界は体力勝負。5Gの負荷に耐えられる肉体を維持するのは容易ではありませんが、あの空からしか見えない景色、そして地上で空を見上げる人々の輝く瞳を残し続けたいですね。
そしてもう一つの夢は、私の話を聞いた誰かが「あんなやつでも夢を叶えたんだから、自分ももう一度やってみよう」と思ってくれること。私の経験が、誰かの心を「青空」にするヒントになれば、これ以上の幸せはありません。
黒澤英介 くろさわえいすけ
航空写真家 芸術家 表現師

幼少期のT-2ブルーとの出会いが原点。事故で左目を失明しブルーの整備員の夢を断たれるも、航空写真家の夢を掴む。出版社を経て独立しブルーインパルスを中心に活動、ガイドブック・公式リーフレットを担当。空撮資格を持つブルーフォト第一人者。困難を前向きに乗り越える姿は多くの人に勇気を届ける。
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講師ジャンル
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ソフトスキル | 意識改革 | リーダーシップ |
|---|---|---|---|
| モチベーション | |||
| 実務知識 | 安全管理・労働災害 | ||
| 社会啓発 | 教育・青少年育成 |
プランタイトル
逆境を飛躍に変える不屈の精神
ブルーインパルスと共に夢を掴む生き方~
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