誰にとっても、生きていくために不可欠で身近な「食」。病院や学校、地域活動など、管理栄養士として多岐にわたる現場で経験を積んできた黒栁桂子さんは、現在、愛知県にある岡崎医療刑務所で受刑者の食事づくりに携わっています。刑務所という特殊な環境で、日々、受刑者とともに給食を作る中で見えてきたのは、食が人の心や行動に与える絶大な影響でした。

単なる栄養補給ではない、喜怒哀楽があり、生活習慣を整え、人を思いやる気持ちを育む「食の力」。NHKでのドラマ化も決定した黒栁さんに、炊場(すいじょう)でのエピソードや、食を通じた更生への想い、そして未来への夢を伺いました。

※本記事の内容は2026年5月時点のものです。

「まずい」から始まった、食への歩み

――まず、黒栁さんが「食」に関わる仕事を目指された原点についてお聞かせください。

黒栁 実を言うと、私の食への原点は「祖母の料理が驚くほどまずかったこと」にあります(笑)。両親が共働きだったため、幼少期は祖母に面倒を見てもらっていたのですが、当時の祖母が作る料理は、本当にまずくて…。その料理を食べるくらいなら、自分で作ったほうがマシだ!と、小学校に上がる前から卵焼きを焼いたりしていました。手先が器用なこともあって、小学校高学年の時には、もうおばあちゃんのスキルは超えていたと思います。

でも、最初から栄養士を目指していたわけではないんです。進学校に入ったものの、周囲のレベルの高さに圧倒されて挫折を経験し、「自分には何があるだろう」と見つめ直したときに浮かんだのが、幼い頃から続けてきた「料理」でした。好きな料理を活かせる仕事は何かと調べた結果、管理栄養士の道を選びました。

――老人施設や病院でキャリアをスタートし、その後、「子どもクッキング教室」や「男の料理教室」なども始められたんですね。

黒栁 バブル末期の混沌とした時代に就職し、一度は事務職も経験しましたが、年齢を重ねるごとに社内での居心地が悪くなり、やはり食の現場に行きたいと管理栄養士の資格を活かせる職場へ転職をしました。

また、プライベートでの育児経験も大きかったですね。自分の子どもが生まれたら、何歳でどの程度のことができるようになるのか調べてみたくなって。「人体実験」じゃないですが、2歳で本物の包丁を持たせてみたんです(笑)。危ないからと遠ざけるのではなく、正しい扱い方を教える。すると、子どもが目に見えて自信をつけ、自己肯定感が爆上がりする姿を目の当たりにしました

その後、地域で開催した「子どもクッキング教室」や、定年退職後の男性を対象にした「男の料理教室」でも、同じ現象が起きたんです。料理ができなかった人が、自分の手で何かを作り出し、それを誰かに「美味しい」と言ってもらえる。この成功体験こそが、生きる力になると思いましたし、自分がやりたい仕事は「食育」なんだと確信しました

偶然の出会いから飛び込んだ刑務所の「炊場」という異世界

▲イメージ画像

――岡崎医療刑務所で働くことになった経緯は、かなり意外なものだったと伺いました。

黒栁 当時勤めていた学校栄養士の契約が切れるタイミングで、次のステップとして正規職員の受験を考えていたのですが、なんと実務経験が「あと3日」足りないことがわかりました。慌てて仕事を探し、たまたま検索に引っかかったのが刑務所でした。

当時は、刑務所の食事がどう作られているかすら知りませんでした。「献立を作成して、業者に発注して、出来上がったものをチェックする。これまでの病院や施設の経験でなんとかなるだろう」という軽い気持ちで面接を受けたところ、30倍の難関に受かって採用が決まりました。ところが、採用されてから受刑者自身が給食を作ることを知り、驚愕しました。「えっ、私がこの人たちに直接教えるんですか?」と。完全に「聞いてないよ!」状態からのスタートでした。

――刑務所という特殊な環境での食事づくりには、どのようなルールや苦労があるのでしょうか。

黒栁 刑務所の炊場は、一般の厨房とはかなり異なるルールで動いています。まず、安全管理が徹底されています。包丁などの刃物はすべて鍵付きの場所に保管され、「塩」や「砂糖」といった調味料などの食品がある場所には厳重な鍵がかかっています。不正な持ち出しや、万が一の混入を防ぐためです。

さらに、受刑者たちの人間関係にも細心の注意が必要です。彼らにとって食事は、塀の中での唯一無二の楽しみ。だからこそ、盛り付けの「平等さ」には命をかけています。例えば「隣の人より白玉が一個少ない」といった些細なことが、深刻な喧嘩やトラブルに発展しかねません。そのため、私たちはとにかく「平等」に気を付けます。

また、意外かもしれませんが、怪我に対する配慮も相当なものです。刑務所内での怪我は「公務災害」扱いになるため、指を少し切っただけでも、医師の診断や膨大な報告書が必要になります。だから調理指導中は、まるで戦場です。「油が跳ねそうなら私がやるからどいてなさい!」「火傷したら大変だから離れて!」と、気がつけば管理栄養士である私が一番体を張って、彼らを守るような場面もあります(笑)。

食事作りが生み出す達成感とチームワーク!現場で起きる奇跡とは?

▲マカロニのお好み焼き風炒め(イメージ画像)

――限られた予算や制約の中で、献立づくりにはどのような工夫を凝らしているのですか?

黒栁 給食の予算は非常に限られていますが、その中でいかに「美味しい」を感じてもらうかが腕の見せ所です。最近のヒット作は「お好み焼き風炒め」ですね。大量のお好み焼きを一枚ずつ焼くのは、時間的にも技術的にも大変です。そこで考えたのが、小麦粉の代わりにマカロニを入れて、お肉やキャベツとお好みソースで炒め、仕上げのマヨネーズ、紅生姜、青のりを上からトッピングする手間を省いて、全部混ぜ込むという手法です。

家庭でつくればイメージ画像のように仕上げられますが、簡単に盛りつけられるように混ぜてしまうので、見た目はぐちゃぐちゃですが、口に入れた瞬間の味の構成は完全にお好み焼き。受刑者たちに「いい?見た目は悪いけど、目をつぶって味に集中して!これがお好み焼きだ!」と言って出したところ、「先生、これマジでお好み焼きっす!」と大絶賛。こうした、既存の概念にとらわれない「ムショ飯流」の工夫が、彼らとの信頼関係を築くツールになっています

――受刑者の方々とのコミュニケーションで、特に印象に残っているエピソードはありますか?

黒栁 心に残っているのは、デザート作りです。刑務所では酒、タバコはもちろん無く、嗜好品類が出せないため、デザートが癒しになり、スイーツ男子が多くなっていきます。

ある時、クッキーにチョコペンでスマイルマークを描くという作業を提案しました。その時に、私が「どうせやるなら個性を出したら?」と課題を出すと、普段は強面で厳つい男たちが、大きな背中を丸めて震える手で一生懸命にニコニコマークを描いているんです。すると、目の離れたスマイルちゃんがいたり、口の形がとんがってるスマイルちゃんがいたりで、大盛り上がりになりました。

そのようなデザートを別の工場で働く受刑者たちに届けた際「今日のデザート、誰が作ったの?美味しかった!」という感想が伝わってくると、作った本人たちの顔つきが劇的に変わります。「誰かを喜ばせることができた」「自分の仕事が認められた」。その小さな成功体験の積み重ねから「じゃあ、次はもっとすごいの作ろうぜ」という気持ちが生まれ、炊場がワンチームになっていくんです。炊場は、単に食事を作る場所ではなく、一つの「チーム」として目的を共有し、達成感を味わう場なのだと痛感しました

刑務所にいる人たちは、仕事で達成感を得ることや、課題解決のために頑張るという経験をあまりしてこなかった人も多いので、ここでの食の経験から、将来の更生に繋がっていってもらえると嬉しいです。

――昨今、社会問題となっている子どもの貧困や孤食についても、刑務所という鏡を通じて思うところはありますか?

黒栁 少年院や刑務所にくる若者の中には、家庭環境が複雑で、まともな温かい食事を食べたことがないという子が少なくありません。彼らにとって、温かい味噌汁や、炊き立てのご飯が出ることは、それだけで衝撃的な体験なんです。

年に一度、刑務所の中でアンケートを取っているのですが、同じ食事を食べていても「五つ星」と褒めてくれる人もいれば、「豚の餌」と書いてくる人もいます。この違いは何だろうと考えると、想像力だと思うんです。目の前の食事がどうやって作られ、誰が自分のために手間をかけてくれたのか、それをイメージできる想像力。そして、その想像力はやはり経験値に比例すると感じています。料理を少しでもやったことがある人は、「今日の食事は初めての人がやったから、少し失敗していても仕方ないな」という気持ちも生まれるのではないでしょうか?食が、ただの栄養補給で終わるのではなく、行事や季節を感じることで気持ちが高揚したり、想像力を働かせて人のことを思いやる気持ちにも繋がると思っています。

ドラマ化と「ムショラン」の裏側

▲黒栁さんの著書『めざせ!ムショラン三ツ星』

――著書『めざせ!ムショラン三ツ星』がNHKでドラマ化されるとのことで、大きな話題になっていますね。

黒栁 ありがとうございます!2026年5月からの放送予定で、光栄なことに主人公の栄養士役を小池栄子さんが演じてくださいます。

撮影現場にもお邪魔しましたが、セットの作り込みが忠実で驚きました。そこで、スタッフの方が、「このセットの中で違和感があれば指摘してください」とおっしゃったので「この位置にザルがあったらダメです」とか、「チャッカマンは危ないから鍵付きの場所に入れてください」などと意見させていただきました。
この作品を通じて伝えたいのは、「塀の中にも、私たちと同じ人間がいて、食を通じて変わろうとしている」というリアルです。説教臭い話ではなく、笑いあり涙ありのエンターテインメントとして、多くの方に刑務所の中でのリアルと、食の持つ可能性を感じていただければと思っています。

孤立化を防ぐ地域づくりを発信し、体現「Gメン75」構想

▲30代から80代の男性を対象とした料理教室。慣れぬ手さばきでも楽しそうに受講している参加者と黒栁さん

――黒栁さんは今後、講演活動を通じてどのようなメッセージを社会に届けたいと考えていますか?

黒栁 行政関係者、教育関係者、そして企業の研修担当者の方々には、「環境が人をどう変えるか、そして食がどうその一助となるか」を具体的にお話ししたいです。また、一般の方や子育て世代の方には、家庭での食事の大切さを改めて考えるきっかけにしていただければ。

最近の講演で特に反響が大きいのは、定年を迎える男性や、地域で孤立しがちな高齢者の方々へのメッセージです。刑務所での調理指導の経験から言えるのは、「料理は最高のコミュニケーションツールであり、生きがいの源泉になる」ということ。定年後に「濡れ落ち葉」なんて言われて居場所をなくすのではなく、自ら包丁を握り、家族や地域に貢献する。そんな「攻めの姿勢」を持つことの素晴らしさを伝えていきたいですね。

私が講演を通じて目指すのは、誰もが「自分の役割」を実感できる社会です。食を通じて他者と繋がり、必要とされる喜びを知る。そんな小さな幸せの輪が、犯罪の抑制や、孤独の解消に繋がっていくのだと信じています。

――その想いが、黒栁さんの掲げる“夢”へと繋がっていくのですね。

黒栁 そうなんです!私には、密かに温めている壮大なプロジェクトがあるんです。その名も「Gメン75」!……あ、昭和の刑事ドラマじゃないですよ(笑)。「じいちゃん・メンズ・75歳」をメインとした「おじさん食堂」を作ることです

刑務所で強面のおじさんたちがエプロンをして必死に料理を作る姿を見ていて確信しました。男性は、いくつになっても「役割」が欲しい生き物なんです。だからこそ、おじさんたちが自ら包丁を握り、地域のために貢献する場所を作りたい。そこでは現役時代の肩書きは一切抜きにして、自分で役職をつくってもらいます。例えば、揚げ物を極めたいなら「揚げ物部長」、味付けに厳しいなら「味見監査官」、初心者は控えめに「洗い物主任」とか。そんなオリジナルの肩書きの名刺を作って、プロ意識を持って働いてもらうんです。

▲黒柳さんの講演は笑顔が絶えない

――素敵な構想ですね。そこではどのような光景が生まれるのでしょうか?

黒栁 例えば、放課後に勉強しに来る受験生や、独り身の若者のために、Gメンのおじさんたちが「合格祈願カツレツ」を作る。若者に「おじさん、これマジでうまいわ!」と言われて、おじさんたちがニヤニヤしながら「だろ?これはこうやって作ったんだよ」と胸を張る。そんな世代を超えた交流が生まれる食堂です。

刑務所という場所で、食が人を再生させる瞬間を何度も見てきた私だからこそ、今度は塀の外で、孤独を防ぎ、人を笑顔にする「食の拠点」を作りたい。講演会で私の話を聞いてくださった方が、「自分も台所に立ってみようかな」「地域でこんな場所を作れるかも」と思ってくださることが、夢への第一歩だと思っています。

食は、いくつになっても、どんな過ちを犯した過去があっても、これからを生きる力になります。今日もどこかで、誰かのために美味しいものを作っている人がいる。やり直し可能な社会を、皆さんと一緒に作っていけたら幸せです。

――貴重なお話ありがとうございました。

編集後記
黒栁さんの明るい語り口の裏には、「食」が人の心に火を灯す瞬間を何度も目撃してきた確かな信念がありました。刑務所という究極の現場で培われた、人を動かし組織を一つにする「胃袋を掴む」対話術は、教育現場や企業研修、行政の地域づくりにも通じる本質的な智慧に溢れています。身近な「食」を通じて、共生社会や更生のあり方を問い直す黒栁さんの講演。その圧倒的な熱量と深い洞察を、ぜひ皆様の組織でも体感してください。

 

黒栁桂子 くろやなぎけいこ

第二の人生を応援する管理栄養士

大卒後、事務職を経て管理栄養士に。病院で約2千人の生活習慣病患者に食事指導を行う。出産育児を機に、男性や子ども向けの料理教室など食育活動を開始。その後、30倍の狭き門を突破して刑務所の管理栄養士に採用、受刑者たちとともに健康的で美味しい食事づくりに励む。講演、メディア出演多数。

講師ジャンル
ビジネス教養 ワークライフバランス
文化・教養 健康

プランタイトル

めざせ!ムショラン三ツ星
日本一小さな男子刑務所の食育とは

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