
2026年度の障害者雇用促進法の法定雇用率引き上げに伴い、多くの企業で障がい者雇用が加速しています。一方で現場からは、「障害についてどこまで聞いてよいのか分からない」、「体の負担と仕事量の配慮はどうしたらよいか」など、マネジメント層のリアルな悩みが絶えません。過剰な配慮という名の「壁」を打破し、多様な人が働きがいを持てる組織を作るには何が必要なのでしょうか。
今回は「障がい者の常識をぶち壊す」をキャッチフレーズに、テレビやYouTube、そして全国での講演活動で活躍する、車いすインフルエンサーの中嶋涼子さんにお話を伺いました。
9歳での突然の車いす生活、アメリカ留学で体感したインクルーシブな社会、そして帰国後の日本で感じた「バリア」の正体とはーー。中嶋さんが目指す「心のバリアフリー」の理念を通じて、多様な人材が真に輝く組織作りのヒントを探ります。
※本記事の内容は2026年6月時点のものです。
車椅子で渡米!暗い日々に希望をくれた映画への情熱と挑戦

▲アメリカ留学時の中嶋さん(画像:中嶋さん提供)
――中嶋さんは9歳のとき、原因不明の脊髄炎により突然車椅子生活になられたとのことですが、それ以前はどのようなお子さんだったのでしょうか。
中嶋 とにかく、おてんばで活発な子供でした。体を動かすことが大好きで、当時はテニスプレーヤーになることも夢見ていたんです。学校では、休み時間も放課後も、男の子たちに混ざって庭を駆け抜ける、そんなエネルギーの塊のような子供時代を過ごしていましたね。
――そんな活動的だった毎日が一変。9歳のとき、車いす生活を余儀なくされたとお聞きしています。
中嶋 はい。小学校3年生のある日、学校の鉄棒で遊んでいたら、着地後、足に力が入らなくなり、病院に搬送。何が起きたのか分からないまま、へそから下の感覚が完全になくなってしまいました。診断名は「横断性脊髄炎」。原因は今もはっきりとは分かっていません。
1年半の入院を経て小学校には戻れたのですが、昨日まで当たり前に走り回っていた自分が、立つこともできなくなり、車椅子が不可欠な体になりました。一緒に遊んでいた仲間が元気に走る姿を、見る側になり、次第に落ち込んでいきました。
当時はまだバリアフリーも進んでおらず、母と外出しても、エレベーターを探し、多目的トイレを探し、出かけるだけで大変…。何より、周りからの視線にストレスを感じました。私自身も、「障がい者=かっこわるい。かわいそう」いう偏見を持っていた部分はあると思います。
――その希望を見出せない深い闇の日々から、一転して「映画留学」という壮大な夢へと向かわれるわけですが、その間にはどのようなきっかけがあったのでしょうか。
中嶋 部屋に引きこもるようになり、心を閉ざしていた私を救い出してくれたのが「映画」でした。幼馴染に連れられて観た映画『タイタニック』が、私の人生を180度変えてくれました。
惚れ惚れする俳優さんの姿にも、映画にも、ものすごく感動して、号泣しました。映画を見終わった後、「生きる勇気」をもらえた気がして「もう一回外に出て、タイタニックを観に行きたい」と思えたんです。
映画はロングヒットとなり、期間中私は『タイタニック』を11回観に行きました。当時は映画館も今ほどバリアフリーではなかったので、事前に電話し「車いすなんですけど大丈夫ですか」と確認すると、断られることもありました。
それでも諦めずに観に行きました。そして、私をこれほど動かしてくれた映画に対し、「いつか自分も映画を作る人になって、落ち込んでいる人にパワーを与えられる人になりたい」と思うようになりました。
夢を叶えようと、中学校・高校ではとにかく英語の勉強に力を入れました。
――映画の製作を学ぶために高校卒業後、世界へ飛び立たれたわけですが、車いすでの海外暮らし、しかも単身での挑戦。渡米してみてどんなことを感じられましたか?
中嶋 不安がなかったわけではありませんが、ロサンゼルスで暮らしてみると、とにかく居心地が良い!そんな印象を持ちました。印象的だったのは、多種多様な人種が暮らし、車いすの人もあちこちにいたことです。
大抵どこにでもスロープやエレベーターがあり、一人でもストレスなく自由に行動ができたんですよね。お手洗いも、多目的トイレではなく、普通のお手洗いに車いすが入れる広さの個室がありました。車いすでいることを忘れ、ごく「普通」に生活していました。
また、人の環境も温かく感じました。ロサンゼルスは陽気な街ですから、目が合うとみんな笑顔で「Hi」と言ってくれます。気軽に「なんで車いすなの?」と聞かれますし「手伝おうか?」と声をかけてくれることも多く、助けられましたし、居心地がよかったです。
日本では、街中で人に見られている感覚が強くあるものの、声をかけられたことはあまりなく、障害に触れてはいけないような空気も感じていました。自分と違う人に対して心の壁がない。私は、それこそが「心のバリアフリー」だと感じました。そして、日本も、そういう社会になったらいいなと思いました。
障がいの有無に関わらず、多様な個人が心地よく働くには「知ろうとする」一歩の勇気が欠かせない

▲日本の映画会社に就職した頃の中嶋さん(画像:中嶋さん提供)
――2012年に帰国され、夢をかなえた中嶋さんは、日本の大手映画会社で映像エディターとして働き始められます。日本で働いてみて、どのようなことを感じましたか?
中嶋 映画製作に携われるようになったことは本当にうれしい出来事でしたが、日本で働く困難も待ち受けていました。
アメリカで8年間暮らしている間は、自分が障がい者であることを忘れるほど、居心地がよかったこともあり、成田空港でお手洗いに行こうとしたとき、「そうだった。日本では多目的トイレを探さないといけないんだった」と思い出しました。
また、就職後は通勤が始まりましたが、東京でしたから、満員電車で人にぶつかられたり、何本も電車を見送って会社に遅れるなど、通勤ひとつとっても、大変でした。
これらの経験から「環境が障害を感じさせているのかもしれない」と感じました。
映画会社では、障がい者雇用で入社したのですが、会社にとって私は初めての車いすユーザーだったようで、周囲の方もどう接していいか、戸惑っているのを感じました。
たとえば飲み会のとき、「中嶋さんのためにエレベーターのあるお店を予約したよ」と言ってもらうことがありました。配慮してくださったことが嬉しかったものの、私はお酒が飲めなくって、飲み会も得意ではありませんでした。でも「私のためにお店を探してくれた」と思うと、断りづらくなってしまいました。
また、車いすユーザーは排泄の悩みもあります。私の場合、排泄の感覚がないので、お手洗いのタイミングも自分ではわかりません。週に1度、薬を使っての排泄補助のために会社を休んだときには、遊びに行っていたの?と聞かれることもありましたが、そういうリアルな困りごとは、なかなか職場の人に言えませんでした。
あの時の自分に一声かけられたなら「勇気を出して伝えてみたら」とも考えます。自分のことを知ってもらう一言の勇気があれば、また環境は変わっていたかもしれません。
―― 障がいのある人もない人も働きやすい職場にするためには、何が必要だと思われますか?
中嶋 障がい者雇用制度で、障がいのある人を雇用する企業は増えました。でも「雇用しなければならないから雇う」制度から一歩進んで、障害のある人も受け入れる会社も「お互いを知るためのコミュニケーション」は特に欠かせないと思います。
障害といっても、人によって困りごとは違います。だからこそ、変に気を遣って距離を置くのではなく、困ったときに話し合える関係性づくりが大切だと思います。
私が会社員だった頃、周囲の人はとても気を遣ってくれていました。でも、障害に触れてはいけないような空気があって、自分から言い出さなければいけないことが多かったんです。それはとてもエネルギーがいることでした。なので、きっと分かってもらえない、わがままだと思われる、迷惑だと思われるかもしれない、など勝手にネガティブな事を考えて、伝える事を諦めてしまうことが多々あり、勝手に自分自身で健常者の方々と壁を作ってしまっていた面がありました。今思えば、1人で考え込みすぎずにもっと周囲の方に言いづらい事情や相談をしてみれば良かったと思います。
人と人との交流の中で知っていけることもたくさんあります。風通しがよく、困りごとを話し合える職場であれば、障がいの有無にかかわらず、誰にとっても働きやすい職場になるのではないでしょうか。
車いすインフルエンサーが目指す「心のバリアフリー」とは?
▲自身のYouTubeチャンネルで排泄障害について赤裸々に語り多くの反響を読んだ
―― 現在は「車いすインフルエンサー」として活動されています。この肩書きには、どのような思いが込められているのでしょうか?
中嶋 会社員時代、アメリカで感じた居心地の良さを日本に広めるにはどうしたらいいか?考えながら仕事をしていて、でもどうしたら変えられるんだろうか?と常に思っていたのですが、ある時、SNSを通じて、車いすで講演活動をしている女性と出会いました。その方は進行性の難病を抱えながらも、働いて、歌って、講演して、とても楽しそうに生きていました。
その方と実際にお会いして勧められ、私も講演活動に挑戦してみたところ、聴講者の方から「パワーをもらいました」「私も何かやってみようと思いました」と言っていただきました。そのとき、タイタニックの映画でもらった「勇気」を、今度は自分が誰かに届けられているのかもしれないと思ったんです。
また、社会を変えたい!伝えたい!という思いを届ける方法を見つけたと感じ、ピンときて、車いすインフルエンサーとしての活動に力を入れるようになりました。
「インフルエンサー」という言葉には、よい影響を伝染させる人という意味があります。車いすや障害に対するイメージを、ポジティブなものに伝染させていける存在になりたいと思っています。
―― 中嶋さんが目指す「心のバリアフリー」とは、どのようなものですか?
中嶋 心のバリアフリーとは、心の壁をなくすことだと思っています。
たとえば、困っていそうな人がいたら、「何かお手伝いしましょうか?」と一言声をかける。逆に、私たち車いすユーザーも、助けてほしいときには自分から「手伝ってください」と伝える。お互いが少しずつ踏み出すことが大切だと思います。
声をかけて断られたら恥ずかしい、と思う人もいるかもしれません。でも、その一言で救われる人はたくさんいます。実際、私は声をかけてもらえるだけで、社会に受け入れられているように感じます。
設備や環境を変えるには時間がかかるかもしれません。でも、人の心は今日からでも変えられます。だからこそ、まずは一言声をかけることから始めてほしいです。

▲東京オリンピック・パラリンピック閉会式でのパフォーマンス(中嶋さんは写真右下)(画像:中嶋さん提供)
―― 車いすインフルエンサーとしてのご活躍の1つに、東京オリンピック・パラリンピック閉会式への出演がありますよね。チームでのパフォーマンスは大きな話題を呼びました。当時のステージでの気づきを教えてください。
中嶋 東京パラリンピック閉会式への出演は、ステージアドバイザーからのオファーで選ばれたのですが、とても刺激的な経験でした。障がいのある人もない人も、いろいろな人が一つのチームになってパフォーマンスをする場は、バリアフリーの目指す世界を実現していると感じました。
「こういう場所が社会のあちこちにあれば、日本から障害はなくなるのではないか」と感じました。パラリンピックのときだけ盛り上がって終わりではなく、日常の中にも、障がいのある人とない人が同じ場所で、同じように参加して楽しめる場が増えていけばいいなと思っています。
「常識」をうたがい、お互いに心地よく居られる社会へ

▲講演中の中嶋さん(画像:中嶋さん提供)
――現在、中嶋さんは、全国で講演されていますが、具体的にどのようなお話をされているのでしょうか。
中嶋 講演では、9歳で突然車いすになった経験、映画『タイタニック』に勇気をもらって外に出られるようになったこと、アメリカで感じたバリアフリー、日本の企業で働いたときに感じた戸惑いや壁、そして車いすインフルエンサーとして活動するようになった経緯など、人生を通して学んだことや気づきについてお話ししています。
私自身の経験を通じて、「自分と違う人とどう関わるか」「誰もが自分らしく生きられる社会をどう作るか」を考えていただく内容です。
特に企業の方には、障がい者雇用を制度として捉えるだけでなく、一緒に働く一人の人として向き合うことの大切さをお伝えしたいです。
――どのような方に講演を聞いてほしいですか?
中嶋 子どもたちにお話することもあるのですが、子どもは真っ白なので、そもそも「壁」というものがないと感じます。なので、「心のバリアフリー」を実現するためには、特に大人の方で、障がいのある人や、マイノリティというものに触れてこなかった方に聞いていただきたいです。
「障がい者だから…はできない」「障がいがあるから…」のような、それぞれの人にある“障がい者イコール”の常識やイメージを壊したくて、講演活動で伝えたり、自身のYouTubeでは、さまざまな挑戦企画を考え実践しているところもあります。
働き方のお話では、企業の人事担当者や管理職の方、障がいのある方と一緒に働く可能性のある方にもぜひ聞いていただきたいですね。
障がいのある人への接し方がわからない、何を聞いていいのかわからない、どう配慮すればいいのかわからない。そういう戸惑いは、決して悪いことではないと思います。大切なのは、わからないまま距離を置くのではなく、知ろうとすることです。
講演を通じて、心の壁を少しでも低くし、「明日から一言声をかけてみよう」と思っていただけたら嬉しいです。
―― 最後に、中嶋さんの夢を教えてください。
中嶋 私の夢は、日本にバリアフリー映画館を作ることです。
私は映画に人生を救われました。『タイタニック』に出会わなければ、外に出る勇気も、アメリカに行く夢も、今の活動もなかったかもしれません。それくらい、映画は私にとって大きな存在です。
でも、日本の映画館では、車いす席が最前列や最後列に限られていたり、席数が少なかったりすることが多く、好きな場所で映画を観ることが難しい現状があります。
アメリカでは、車いすユーザーもいろいろな位置から席を選べました。足で歩ける人が好きな席を選ぶように、車いすユーザーも好きな席で映画を観られる。そんな映画館を日本にも作りたいと思っています。
そしてこれは直近の目標であり夢なのですが、既存の映画館を使って、バリアフリー映画祭を開催したいです。介助資格を持つ方やボランティアの方にも協力していただきながら、障がいのある人も、ない人も、同じように映画を楽しめる場を作りたいです。
9歳のとき、私は映画から外に出る勇気をもらいました。今度は私が、映画や講演を通じて、誰かが一歩踏み出すきっかけを届けていきたいですね。
中嶋涼子 なかじまりょうこ
車椅子インフルエンサー

9歳の頃、原因不明で車椅子生活となる。診断名は横断性脊髄炎。失意の中、映画「タイタニック」に心を動かされる。映画制作を学ぶべく、南カリフォルニア大映画学部に入学。映像エディターを経て車椅子インフルエンサーに転身。「障碍者の常識をぶち壊す」ことで、社会や心のバリアフリーを目指し活動中。
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講師ジャンル
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社会啓発 | 福祉・介護 |
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プランタイトル
一歩踏み出す勇気~心バリアフリーが社会を変える~
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