チンチン電車と女学生

小笠原信之 おがさわらのぶゆき

フリージャーナリスト

提供する価値・伝えたい事

講演では、この秘話の内容をじっくりと話し、女学生たちの人生を振り返ることにより、戦争のむなしさ、犯罪性を静かに訴えたい。さらに、この秘話をたまたま聞きつけてから、やがて幻の女学校の生徒名簿を発掘し、女学校の映った米軍の航空写真を発見するなど、エネルギッシュで粘り強い取材を続けた若き女性ディレクターの存在にも触れ、今日のジャーナリズムのあり方も考えたい。

内 容

1945年8月6日午前8時15分、広島市に人類初の原爆が落とされた時、広島市内のチンチン電車の運転台には女学生運転士たちが立っていた。被爆した車両70両に乗務していた運転士と車掌の7割は14歳〜17歳の女学生たちだったと推定されている。
 
 この女学生たちは、戦局が募って男手が足りなくなった穴を埋めるために、女性乗務員速成用につくられた広島電鉄家政女学校の生徒たちだ。同女学校は1942年春に開校し、被爆によりわずか2年半で閉校に追い込まれるまでに、広島近郊の農山漁村の子女309人を集めた。同校の軌跡は、まさに国策に翻弄されたものであり、青春の日々をチンチン電車に捧げて「銃後」を守った女学生たちの人生もまた同様なものであった。
 
 この知られざる「幻の女学校」被爆秘話は1昨年、地元の広島テレビでドキュメンタリー番組にされ、昨年度の日本民間放送連盟賞・テレビ教養番組部門最優秀賞に輝いた。

 私は同賞の中国・四国ブロックの審査員をつとめ、この優れた作品を知った。そして、この番組をつくった堀川惠子ディレクター(当時・広島テレビ、現・ドキュメンタリージャパン専属)に連絡をとり、企画を立て、二人で補足取材を重ね、一冊の本にした。この歴史を活字にして、より多くの人に伝えたいとの思いからだった。
 
 広島市は現在、「動く路面電車の博物館」として全国のマニアに知られている。そこでは、被爆車両「650形」4両もまだ現役で活躍している。しかし、この歴史を記念する車両にも「肩たたき」の時期が近づいてきている。そららが引退すれば、「幻の女学校」被爆秘話も再び、人々の意識から遠ざけられてしまう恐れが強い。
 
 この夏は戦後60年の節目に当たる。戦争の記憶の風化が著しく、イラクに自衛隊を派遣し、憲法9条の改定が喧伝されている今こそ、私たちの社会が戦後の再出発にすえた原点を思い起こしたいものである。本では309人の乙女たちの仕事と生活、青春の日々、その後の人生などを克明に追っている。多分、全国で見られただろう、こうした名も無き人たちの献身と犠牲が、今日の繁栄の基盤になっていることを忘れてはならない。

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