若き秀吉に学ぶ知恵
~清洲城の三日普請~

旭堂南青 きょくどうなんせい

上方講談師

内 容

*講演(60分)と講談(30分)の組み合わせの舞台です。

【講談】
清洲城の三日普請 戦国時代、織田信長の居城、清州城の城壁が洪水で崩れた際に、織田家の重臣が修復普請工事の監督に当たりましたが、だれが担当しても遅々として進みませんでした。
そこで、手を挙げたのが木下藤吉郎です。工事監督を請け負った藤吉郎は、全部で百間(約180メートル)ある普請面積を10区画に分割して、各区画をそれぞれに人夫を割り当て、賞罰を明確にして、組ごとに競争させました。
各組が受け持つ工区は十間(18メートル)になります。藤吉郎は、各組に対して、工区の一部分だけを普請するのではなく、十間全体に対して土を積み上げる方法で行うように指示しました。
この方法で普請を行えば、工事途中の城壁が高く積み上がっている組ほど、工事進捗が速いということになります。藤吉郎は、各組の成績(工事の進捗具合)をパッと見て一目でわかるようにしたのです。さらに、通常百文の日当を、一番高く積み上げた組は5倍、二番目の組は4倍、三番目の組には3倍にしその日のうちに支払いました。そして予定より早く完成させたら、日当とは別に褒美を出すことを約束しました。すると、それまで遅々として進まなかった普請工事が、わずか3日で完成したというのです。それを聞いた信長は「人間の力とは妙なものだのう」と感心したと言います。

完成までの日数は文献によって諸説ありますが、藤吉郎が他の重臣たちのだれもがなし得なかった普請工事を短い期間で完了させたことは間違いありません。
藤吉郎には、下積み時代の経験から、人夫を動機づけ、集団のパワーを発揮させるには、こうしたやり方が効果的だということをよく知っていたのでしょう。

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