桐竹繭紗也の「乙女文楽」
~伝統の継承と新作を未来へと~

桐竹繭紗也 きりたけまさや

乙女文楽人形遣い

提供する価値・伝えたい事

「乙女文楽」とは、昭和の初年に少女たちによる一人遣い人形芝居の今日までの総称です。
乙女文楽では、三人遣いの文楽人形を一人で遣い、人形遣いの体の動きがそのまま人形の動きに置き換えられ、あたかも人形と一体化して舞うかのようです。
現在、乙女文楽は大衆芸能として存在せず、プロの人形遣いは5人もいない状態にあります。
戦時中に、多くの人形が焼失してしまった事も、日本伝統文化にとってかなりの損失と言えましょう。
伝統を継承しつつ新しい作品を制作し、生きた芸能として存在するべく、日々活動をしています。
「乙女文楽」を是非一度、肌で感じてみて下さい。
きっと、その繊細な動きと、美しさ、迫力に感動するでしょう。そして、その後ろにある長い歴史をしみじみ感じ取れるに違いありません。

内 容

◎下記の演目例より、対象者・ご要望・上演時間等により構成いたします。
◎津軽三味線、和太鼓、尺八の他、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、二胡等との共演も可能です。ご相談下さい。

<演目(一例)>
◆寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう )
能の「翁」とそれに続く狂言の「三番叟」を写したもので、天下泰平・五穀豊穣を祈って舞うので、広い意味で上演される祝儀曲。
儀式には欠かせない演目として,劇場の柿落とし,記念公演,初春興業等で上演されている。その一部を約10分で踊る。
結婚式,お正月,お祝事の席に上演し,喜んで頂いています。

◆艶容女舞衣(あですがたおんなまいぎぬ )
安永元年(1772年)12月初演。
大阪上塩町の酒屋茜屋の息子・半七は、女芸人・三勝との間に娘お通までもうけ、女房・お園を顧みず、父や舅を泣かすが、人をあやめ、三勝との心中を決心するという実話にもとづいて脚色された世話物。三巻。夫を案ずるお園、親同士の義理と情、半七と三勝の死出の旅への経緯を描く下巻「酒屋(お園)」(約15分)のみが上演されることが多い。

◆黒髪(くろかみ)
天明四年(1784年)11月、中村座顔見世狂言「大商蛭小島」の二番目で伊藤祐親の息女辰姫が、源頼朝への恋を北条の娘政子に譲って、二人を二階に上げたあと、我が髪を梳きながら、切ない嫉妬の念に燃えて、狂おしくなるという場面に使われた長唄『めりやす』。雪の降る夜、つもる思いを胸に抱いて寂しく寝ていると、聞こえてくる鐘の音が身にしみてくる。女の命と言われる緑の黒髪がいつしか白雪が積もるように白髪になってしまう、という世の無常感が含まれている。

◆鷺娘(さぎむすめ)
雪の池辺に白鷺が、白無垢姿の娘と化し、傘をさして現れます。恋に悩む身を振りで見せ、一転して派手な町娘になり、華やかに踊り、更に地獄に堕ちた修羅の責め苦にあい、狂いにくるって凍え死んでいく。

◆日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)
愛を誓った旅の僧(安珍)に裏切られた女(清姫)が憤怒の果てに蛇身に変じ男の後を追って道成寺に至る。女人禁制の寺に逃げ込み鐘の中に隠れた男を鐘ごと瞋恚の炎で焼き尽くした紀州の道成寺説話。その中の安珍を追って日高川の渡し場まで来た清姫が川に飛び込むまでを演じる。

◆お吉しぐれ(おきちしぐれ )
唐人お吉は伊豆下田の芸者で船大工鶴松と二世を誓ったが、幕府役人により仲を裂かれ、アメリカ領事T・ハリスの妾となった。その後鶴松と同居したが、世人の嘲笑により乱酔に憂さを晴らし、のちに別居、晩年稲生沢川に投身自殺を遂げた。

◆夕鶴(ゆうづる)
与ひょうに助けられた鶴の化身のつうは与ひょうの女房となり子供ももうけた。つうは与ひょうのためにかくれて自身の羽を抜いて布を織る。だが与ひょうはそれをお金に換えて金儲けのことばかり考えるようになる。ある日与ひょうは布を織る鶴の姿を見てしまう。その夜、つうは最後の布を織り上げ雪の中死んでいく。

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