2017年に25万部を超える大ヒットとなった『定年後』(中公新書)の著者、楠木新(くすのき あらた)さん。数多くの取材から定年後の生き方について情報を発信している楠木さんに、中年以降にどう生きるべきかについてお伺いしました。

2023年2月に発売されたばかりの注目の新刊『75歳からの生き方ノート』(小学館)の魅力もたっぷり語っていただいています。
ユーモア溢れる楠木さんらしい60分間のインタビュー記録、ぜひご覧ください。

順調だった会社員生活からの休職。平社員になって見つけた新たな生き方

――楠木さんは京都大学法学部をご卒業後から、生命保険会社に定年までお勤めでしたが、どのような業務をご担当でしたか?

楠木 総合企画や人事、営業など、いろいろな業務を担当していました。私は神戸の歓楽街の真ん中にある薬局の息子なんですよ。公務員やサラリーマンが身近にいない。商売人や職人、アウトローが多い地域で育ったので、入社当初は今まで過ごしてきた世界とのギャップに驚かされました。身近にいた人たちと対極にあるサラリーマンの生活が新鮮でしたね。

入社して最初の3年ほどは、優秀な成績を挙げた営業職員の旅行やパーティーなどの手配、営業成績の管理などの仕事がほとんどでした。「こういう仕事をずっとやっていていいのだろうか」という迷いもありましたが、2年目以降になると仕事を自分で回せるようになって楽しくなりました。4年目に本社の総合企画という中枢に関わる部署に配属されてからは、3〜4年おきくらいに法人営業や人事での採用責任者、支社の次長、支社長など、いくつもの業務を経験しました。

――同じ会社内でもさまざまな業務を経験されたんですね。

楠木 どの業務も楽しく、順調に働いていたのですが、40代半ばになって「このままでいいのだろうか?」という迷いが生じてきました。40歳の時に阪神・淡路大震災に遭遇した体験が、迷いの原因のひとつだったと思います。

震災では、一瞬にして目の前の景色が激変して、我が家にも遊びに来たことがある小学生の娘の同級生が亡くなりました。私の娘と入れ替わっても不思議はなかったのです。自分にとって大きな影響を与えるできごとでした。

「仕事も順調だし、もっと上の役職に昇進したい」という気持ちと、「何か自分なりに主体的なことをやりたい」という気持ちが交錯して、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態に陥りました。自分の中に葛藤が生まれたのです。そんな葛藤を抱えるうちに体調を崩し、会社に行けなくなりました

休職を挟みつつ出勤する日々が2年半ほど続きましたが、50歳になる頃には体調も良くなりました。しかし、長期に休むと役職がなくなり、平社員になるという会社のルールがあったことで、生活が変わりました。仕事も楽になり、時間もできたのに、今度は自分が何をしていいのか分からなくなったのです。自分がいかに会社にぶら下がっていたかを思い知らされましたね。

どうしようかと思っていたときに、サラリーマンから独立して活躍している人の話を聞く機会がありました。それを契機に転身した人に話を聞き始めると、面白くなってやめられなくなり、気づけば150人くらいに取材をしていましたね。そうした取材を重ねていたところ、朝日新聞の記者と偶然ご縁があり、紙面で取材した人を紹介する連載を始めることになりました。それが、文章を書き始めたきっかけですね。

実は私は、子どもの頃から地元の神戸新開地の『神戸松竹座』という演芸場に通っていたことから、芸人に対する憧れを持っていました。舞台の上で自らの芸を披露してお客さんの笑いをとったり、驚きを与える芸人の姿がカッコよかったんです。朝日新聞の連載を書いている時に、これは自分の芸にできるのではないかと思いました

当時、中高年以降の会社員の多くが、働くことの意味について悩んだり、充実感を失ったりしていると感じていました。しかし、その課題を会社員の立場で理解して、有効な解決策を提示している人がほとんどいないことに気がついたのです。

実際に会社員として働いている自分がやれば、50歳からでもひとつの芸として取り組むチャンスがあるのではないかと考えました。そこから18年間ずっと走ってきた感じです。

いちばんの取材の場は会社だった

▲生命保険会社勤務時の楠木さん(画像:楠木さん提供)

――どのような方法で取材をされていらっしゃったのですか?

楠木 はじめのうちは、おもしろそうな人の情報を聞いて話を聞きに行くという感じでした。平社員になったことで時間がたくさんあったので、のめり込んでいきましたね。

――これまでに何人くらいに取材をされたのでしょうか?

楠木 人数はとても数えきれません。取材と言っても、必ずしも時間と場所を決めて聞きにいくだけじゃないんです。改まって聞くと、切り取られた瞬間しか見えない。むしろ会社の同僚に近況を聞いたり、職場で不機嫌そうな人がいればなぜ不機嫌なのかを聞いたり。とにかく、興味が湧いた人にその場で話を聞いていました。取材をするために会社に行っていたような感じですね(笑)。

だから「これだけ社員に話を聞かせてもらっているので、会社に月に3万円か5万円払いたい」と半ば冗談で経理の人に申し出たことがありました。

担当者は受け取れないと言いました。理由を尋ねると、「契約にありませんから」という満点の回答でした。ただ、私は契約の枠内の仕事をしてるだけでは、会社員はなかなか楽しめないということを感じていました。会社の仕事とは別に、取材や執筆に取り組んでいるから充実した気分になれるのだと気がついたのです。

――会社とも良い関係を築いていらっしゃったんですね。

楠木 会社との関係がうまくいかないとどうにもなりません。特に意識したのは、同じ職場の上司や同僚、部下や同期入社のメンバーなどと気持ちの良い関係を築いておくことです。ここをきちんと押さえておけば、会社員にはかなりの自由度が生まれると思います。

そういう意味では、執筆に関して本が売れても「嬉しそうな顔をしない」というのも大切な要件です(笑)。もちろん周囲の人が何か困ったことがあるときはできるだけ協力するのは、会社員としての当然のマナーでもあるわけです。結局、会社からは執筆に関しては何も言われませんでした。

もうひとりの自分を見つけると、どうにもとまらないくらい人生が楽しくなる

――副業をうまく続けるには、会社の人との関係性も大切なんですね。

楠木 私は“副業”ではなく“もうひとりの自分”と呼んでいます。副業と言うと、取り組む範囲が狭くなりがちです。頭で考えているからです。実際は在職中にできる仕事以外のことは、バラエティに富んでいます。

フリーランスや起業の準備をする人もいるし、社会保険労務士などの資格に挑戦している人もいます。趣味やボランティアを楽しむ人もいるし、学び直しが合っている人もいる。もちろん、組織の中で働くことがフィットしているという人は、無理に別のことをしようとしなくてもいいんです。

特に40代後半以降になると、会社員一本でやっていくことに疑問を抱えている人がすごく多いんです。会社員の自分しか持っていない人は、外から見ても窮屈な感じを受ける時があります。会社や副業という概念を一旦横において、自分の好きなことをやる、“もうひとりの自分”になる時間を持つことが大切なんです。

もうひとりの自分を持つことで、仕事も充実するようになります。これを私は“ピンク・レディー効果”と呼んでいます。

――ピンク・レディー効果とは…?

楠木 大ヒットした『UFO』という曲がありますね。その振付で右手を回すと左手も回ります。一方が上手く回ることで、もう片方の手も廻りだすのです。 “もうひとりの自分”が育ってくると会社員としての仕事の質も向上します。

また、会社の仕事が順調だと、“もうひとりの自分”も充実する。つまりシナジー効果が期待できるのです。実は、両者は結局つながっているからです。私の場合は取材や執筆を始めたことで、会社の仕事の質は間違いなく向上したと思っています。

――一方が充実することで、もう一方にも良い効果が生まれるのですね。

楠木 さらに、ピンク・レディー効果が昂じてくると、今度は”山本リンダ状態”になります。

――山本リンダ状態…??

楠木 いいですか、山本リンダさんのデビュー曲の『こまっちゃうナ』じゃないですよ。大ヒット曲の『どうにもとまらない』状態になるのです。

――なるほど(笑)

楠木 私の例だと、土日に取材や執筆をして、月曜の朝に出勤して会社のパソコンを開くと、切り替えができてシャキッとしてくる。また、会社で何か嫌なことあっても「俺には執筆があるから、まぁいいか」と割り切れるようになります。会社の仕事と“もうひとりの自分”の取り組みが互いに気分転換になるのです。みなさんの周りでも、はつらつとした趣味を持っている人が会社の中で暗い顔をしていることはないでしょう。

2つの役割を同時に持つことは、自分の能力を存分に発揮しているという実感にもつながります。さらに言えば、職場では一人がイキイキしてくれば、周りの社員も刺激を受けて元気になってきます。つまり一人ひとりが“もうひとりの自分”を持てば、職場全体が活性化していくわけです。社員が第二の本業を持つことは、会社にとってもメリットは大きいと個人的には思っています。

――楠木さん自身、ご在職中からもうひとりの自分として取材や執筆活動を楽しんでこられたわけですが、2015年に定年されてからは、どのような活動をされたのですか?

楠木 2018年から2022年まで4年間、神戸の女子大で大学教授をやっていました。

教授職に就いたきっかけも、取材活動でした。取材を始めた頃、サラリーマンが話を聞きに来るというと相手が怪訝な受け止め方をするときがありました。そんな時に地下鉄車内のつり広告で、社会人向けの大学院の入学案内を見つけました。「そうか、キャリアの研究ということにすればスムーズに取材ができる」と思いついたのです。

そこで、50歳の時に入学し、経営学の修士号を取得しました。当初は勉学に励むつもりはなかったのですが、そこで修士号を取得したことで大学教授の道が拓けました。人生何が起こるかわかりませんね。

75歳からの生き方に重要なのは、50代60代からの“助走”

▲楠木さんの新作著書『75歳からの生き方ノート』(小学館)

――定年後も取材を続けてこられたんですよね?

楠木 最近は組織内で働いてきた人の定年後の生き方について取材を続けています。今は60歳時点の平均余命が男性は85歳、女性は90歳に延びて、定年後にも25年、30年と人生が続くわけです。その期間をどのように過ごしていくのかが大切だと思っています。

2017年に25万部を売り上げた『定年後』の執筆では、50代から60代半ばの人を中心に取材を続けてきました。この2023年2月24日に発売された新作『75歳からの生き方ノート』(小学館)では、65歳から70代の人を中心に話を聞いて書きました

みなさんすごくお元気なんですよ。最近は『エンディングノート』が流行っていますが、それは一旦横において、人生を再スタートさせる『リ・スターティングノート』を作成する方が良いのではないかと考えました

まだまだ元気なのに、「何をしていいのか分からない」とか「やりたいことが見つからない」と話す人は少なくありません。そこで、今回発売した本では、自分の過去を振り返り、やりたいことを書き出すことによって、もうひとりの自分を探すことを提案しています。

――75歳からの生き方を見つけるための指南書のようなものでしょうか。

楠木 「こういう生き方をすべきです」と呼びかけるものではなく、老いることに価値を見出してもらう点に主眼を置いて綴ったつもりです。

最近になって確信したことですが、私は、「人生の後半戦は大体3分割できる」と考えています。

第一期は45歳から60歳までの、現役バリバリの時期ですね。第二期は、60歳から74歳までです。この時期は仕事上の負担も家族の扶養義務も軽くなり、自分の時間やお金に対しても自由度は高まるので、人生で最も楽しむべき「黄金の15年」と呼んでいます。第三期が、75歳以降になります。この時期になると徐々に自分の思い通りに活動することが難しくなってきます。ここで大切なのが、75歳以降を乗り越えるための助走なのです。

過去を振り返ることが、 “もうひとりの自分”を見つけ出すヒントになる

▲楠木さん作成の『自分史シート』※出典:『75歳からの生き方ノート』(小学館)より

――75歳になるとできることが限られてくるというお話ですが、定年後から75歳以降に向けてシフトチェンジしていくべきとお考えでしょうか?

楠木 シフトチェンジと言うほど簡単に自分を変えることはできません。まずは、自分の過去の歩みを確認して、何ができるのかを考えることが大切です。

50代以降に充実した時間を過ごしている人にお話をうかがって感じたのは、みなさん自身の過去の体験からうまく抜き出して、「もうひとりの自分」を見つけ出しているということです 。ほとんどが次の3つのパターンに整理できます。

1つめは、長くやってきた仕事から抜き出すパターン。2つめは、小さい頃に興味関心があったことからです。そして3つめは、一見すると不遇な体験と思えることがきっかけで次のステップを見出しています。自分の病気や震災に遭遇、リストラ、家族の問題などです。この3つのパターンを合わせ技にしている人は安定しているという実感があります

――今回の『75歳からの生き方ノート』には、その3つから上手く抜き出す方法も書かれているんですか?

楠木 はい。今回の本では、『リ・スターティングノート』として、『やりたいことリスト』、『自分史シート』、『財産増減一括表』の3つを提示しています。

『やりたいことリスト』は、文字通り、今後の3〜5年くらいの期間で自分のやりたいことを書き記していくものです。これをスラスラ書ける人は問題ありません。ただ実際には、実行に移せるほど具体的に書ける人は思いのほか多くありません。そこで、やりたいことリストを見つけるためのヒントとして『自分史シート』を書くことを勧めています。

自分史シートは、子供の頃から現在まで、年代別に自分がどんなことに関心を持ち、感動したり影響されたりしたのかを書くものです。過去の自分を掘り起こすことで、隠れている自分の個性や行動の流れが見えてきます。そこで見つかった個性や流れというのは、自分だけの唯一無二の物語です。その物語の先に次のステップを見つけることが大切だと私は思っています。

一度きりの人生。楽しまないでどうする

▲地元神戸新開地の新たな演芸場『喜楽館』をバックに微笑む楠木さん(画像:楠木さん提供)

――新刊では新しいテーマに挑戦されましたが、今後挑戦したいことや、今現在取り組んでいらっしゃることはありますか?

楠木 まずは、今回の『75歳からの生き方ノート』のように、“人生の後半戦”という部分に関して、いろいろな取材事例や私が経験したことを求めている人に提供していきたいと思っています。もうひとつは、子どもの頃に過ごした歓楽街の人々にスポットを当てた本を書きたいと考えています。今のコンプライアンスで窮屈になっている人たちに向けて提示するつもりです。

――楠木さんは講演活動もされていらっしゃいますが、講演活動ではどのような点を一番伝えたいと思っていらっしゃいますか?

楠木 やっぱり「“ピンク・レディー効果を目指しましょう”。“山本リンダ状態になりましょう“」というところですね。

――そこなんですね(笑)

楠木 つまるところは、「おもろいようにやった方が得だ」ということですね。せっかく生まれてきたのだから、自分がやりたいことをすべきだと思っています。病気や災害で生きたくても生きることができなかった人たちがいます。元気に活動できる人は、その人達の分も「いい顔」で機嫌よく過ごすことが大切です。

――楠木さんにとって“いい顔”とはどんな顔でしょうか?

楠木 主観的なものなのですが、本当に楽しんでいる人は顔に出ます。自分の内面の価値観と行動が一いたしている人だと思っています。皆さんが頭に浮かべやすい人でいうと、「さかなクン」ですね。私は、「いい顔」をしている人に意識して話を聞きに行きます。ヒントをもらえる可能性が高いからです。

――最後に、読者の方にメッセージをお願いします。

楠木 2月24日に刊行した『75歳からの生き方ノート』では、自分のやりたいことを挙げる『やりたいことリスト』、自分の過去を書き出す『自分史シート』、お金の管理をまとめる『財産増減一括表』の3点セットをもとに、人生を再スタートする『リ・スターティングノート』を書いてもらえる内容になっています。

75歳からの人生を乗り越えて、再スタートさせるために、50代60代のうちから自分を振り返ってほしいという想いで書きました。ぜひ読んでみてください。

――今回のインタビューでは、人生の後半戦である定年後を楽しく過ごすための重要なヒントをたくさん聞くことができました。人生は一度きり。楠木さんのように“もうひとりの自分”を見つけ、いい顔で人生を過ごしたいですね。本日はありがとうございました。

楠木 新 くすのきあらた

人事・キャリアコンサルタント 元 神戸松蔭女子学院大学 教授

その他ビジネストピックライフプラン

1954年神戸市生まれ。京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。人事・労務関係を中心に、経営企画、支社長等を経験。勤務と並行して「働く意味」「個人と組織の関係」をテーマに取材・執筆に取り組む。2015年定年退職。2017年の『定年後』(中公新書)は25万部を超えるヒットとなる。

プランタイトル

定年後
~50歳からの生き方、終わり方~

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