野球人生から学んだチャレンジ精神
矢野燿大 やのあきひろ
元 プロ野球選手元 阪神タイガース監督
想定する対象者
・労働組合 若手組合員の皆さん
・企業 若手ビジネスパーソンの皆さん
内 容
エリートはほど遠い小、中、高時代から、どのような経緯で東北福祉大学に入り
プロ野球選手になるまでの道を切り開いたかをお話いたします。
いろんな指導者との出逢いで自分を高めてきた話は
まだ未成年の皆さんにも参考になると思います。
中日ドラゴンズにドラフト2位で入るがなかなか芽がでない
自分の弱さに気づき、どうして強くなり、
またタイガースで名捕手と呼ばれるようになるまでの奇跡をお話します。
・当時、中日には絶対的なポジションを確立してた先輩がいた。プロの実力をまざまざ見せつけられ、初キャンプ
では「この世界で何年やれるんだろう?」という不安しかなかった。
・プロの世界は一見華やかな世界ではあるが、「力の世界」なので厳しい一面もある。
結果出せなければ、クビ切られる非情な世界。同期で入った選手がクビになり、それがとてもショックで逆に自覚が
でき、自分が変わってきた。
・レギュラーの座を掴むにはどうすればよいか?
「とりあえず他人より努力する!」とか「キャッチング技術を学ぶ」ことを自主的にしていった。
・「やらされ練習」では伸びなかったが、「自ら進んでやる練習」の成果は違った。結果がついてきだした。
・キャッチャーというポジション。「女房役」とよく言われる。目指していたのはピッチャーのとって「良い女房」。
自分は特に何か秀でたものがあったタイプではなく、いわば全体的に平均点の選手。
だからこそ、ピッチャーが投げやすい環境をつくることに苦心した。
スタッフからのコメント
講演60分、質疑15分の流れになります。
「阪神の矢野」というネームバリューは大きく、どちらの組合さんでも集客力は高いと思います。
「プロになれるとは思っていなかった。夢のまた夢だった。ただ、野球が好きでやっていた」
「自分で動き出して、試合に出られるようになった」。
・・・プロになって満足してしまった部分があったそうですが、3年経った時に同期入団のピッチャーがクビになり、危機感を抱いてより努力するようになったそうです。スコアラールームに行って研究したり、帰ってからも公園でスイングしたり。
そうして自分から動き出したことで試合への出場機会を得て、長く現役を続けられたのだと感じました。
(労組担当)