「いわさきちひろの孫」。祖母と同じ「絵本作家」。
2つの側面を持つ松本春野さん。
松本さんは、偉大な祖母の孫であるプレッシャーを感じた時代もありましたが、「今は自分なりのスタイルを見つけた」と語ります。
松本春野さんロングインタビューの後編では、絵本作家になった背景や描写へのこだわり、そしてこれまで携わった作品への思いをお聞きしました。
今では、絵本作家として自分なりのスタイルを確立し、メディアや講演では「いわさきちひろの孫」としてちひろの思いを語りつづける松本さんの思いとは?
ちひろと絵本に導かれ、決断した絵本作家への道
ーー絵本作家になろうと思ったきっかけを教えてください。
松本 子どもの頃から、最も身近な職業の一つでした。絵を観ることも描くことも日々の生活の一部でした。「子ども」を大切にしてくれる大人たちに囲まれて育ったことで、同じように「子ども」というものに親しみを感じながら大人になりました。表現すること、「子ども」を取り巻く物語が好き、そうなると自然とこの職業にたどり着きました。
ーーちひろさんと同じように水彩画という手法を選択した理由について教えてください。
松本 子どもを描きたいという気持ちはちひろと同じで、でも、比較されたくないという反発から油絵を描いていました。しかし、私が画材をうまく扱えなかったこともあり、重ね塗りしていく油絵では、子どもたちがまとう風や光、空気感が重たくなり、どうしても動きのない硬質なものになってしまいました。
しかし、水彩画は、サッと色を一度塗るだけで、風の吹き方や光の入り方がうまく表現できます。一塗りで自然の情景を生き生きと表現できる水彩絵具は、本当に魔法の道具だなと思いました。日本の湿度や風土を表すのにも適している気がします。
それに、「水彩画」は私たちが小さい頃から身近にあるものですし、生活の中で、子どもの暮らしを描く絵に向いていると感じました。
また、水彩は紙の白を活かした余白のある絵が出来やすいので、観る人や読者が自分の物語や想像を入れ込む余地があります。ちひろはそういう余白のある絵や絵本を描いてきましたし、私もそういう余白のある絵本を目指しているところがあります。
ーー水彩画は一本勝負で描かなければならないところがあるので、難しくないですか?
松本 そうですね。油絵って失敗しても上から塗れば修正できるんですよ。でも、水彩画はそうはいかない。一発勝負。デッサン力や画力が誤魔化せません。
鉛筆や筆の動きや、水の含み具合で、絵の空気感が変わってしまいます。それでも、好きなのは、やはり、水彩画の魅力をちひろ美術館で知ったからだと思います。
それに、水彩画の手法は、書道にも通じるものなので、日本人との親和性も高いと思います。ちひろ自身も書道の先生もしていました。
ーーちひろさんは本当に水と水彩絵の具をうまく使って、影や光を見事に表現されていますよね。
松本 そうなんですよ。どんなに練習しても、ちひろみたいに水彩を扱えないですね。ちひろは、紙に、乾いているところ、濡れているところを分けて、その濡れ具合で、指の仕草や顔の表情を作っていくわけですよ。例えば、海の波の先の白色は、もともとの紙の白色を残しながら、波が立っている様子や、筆先のかすれを使って波が泡立っている様子を表わすことでできたりする。それを瞬時に描いていたそうです。
テレビのディレクターさんに、そのちひろの描き方を再現して、と言われたことがありました。でも、無理なんですよ。あの描き方はやはりちひろにしかできません。
先ほどの質問ではないですが、もしちひろと会うことができれば、どうやって魔法みたいに水彩を操ったのかということも、詳しく聞いてみたいですね。
ーー松本さんが描かれる子どもたちは、すごく表情があって生き生きとしていますよね?
松本 人間性が出るのだと思います。私自身、のびのびと育ったので、時代や育った環境も絵に表れますよね。ちひろは、静かな性格で、きっと我慢強かった。あのような抑え目な表情の子どもは、ちひろの性格の表れでもあると思います。
祖母の願いを後世に伝えていくこと
ーー偉大な祖母をお持ちということで、プレッシャーを感じたことはなかったのでしょうか?
松本 若い頃は無知すぎて、あまりわかってなかったですね。ただ、突っ走って好きなことをやっている感覚でした。でも、そのうち、祖母の偉業がわかるようになって、自分の限界を知らされるときもありました。
ちひろは、ただ単に絵本作家として成功しただけではなく、当時は低かった絵描きの地位向上に大きな貢献をしました。当時は、文章信仰があって、印税率が、文を書いた作家の方が高かったり、絵の二次使用以降にはお金が出なかったりしました。
ちひろは、それに対して異議を唱え、絵描きの「著作権」という概念を広める運動をしました。
広い分野で、ちひろの偉業をだれもが褒め讃え、その面影を私に求められることがあり、とても重たく感じることがありました。でも、どこかのタイミングで「もういいや」と思えました。
だって、ちひろと私は生まれた時代や環境も異なるし、ちひろの絵を私が描くことはできないし、逆に私の絵をちひろは描くことできません。十人いれば、十通りの画風がある。
「私は私でいいんだ」と思えたというか…。でも、それも、ちひろが道を作ってきてくれたから、気づけたことであって、ちひろには感謝しています。
ーー先ほど、テレビ番組の企画で模写を依頼されたという話しがありましたが、テレビ局の人間としては、松本さんにちひろさんのような描き方を求めたのでしょうか?
松本 単純に、画法を再現してほしかっただけだと思います。どうしても再現できないものがあるので、辛い時もありますが、模写するたびに、ちひろと自分の違いがわかり、とても良い体験になっています。
時々美術館に来館された方がちひろの絵本を持ってきて「ここにサインをして」といわれることがあります。私を見て、涙を流しながら「小さい頃、ちひろさんの絵本に励まされて…」とサインを頼まれたり…。最初は、正直戸惑いました。
でも、私の父に、「美術館にわざわざお越しいただいたお客様に対して、ここでのお前は、ちひろの孫という役割に徹しなければならない。黙ってサインしてあげなさい」と言われました。
私の父も同じ道を通ってきて、苦い思いをしてきたと思います。それでも、ちひろの思いを後世に伝えていくことは大切なことであるため、サインするようにしています。
講演でも、「ちひろの話をしてほしい」と言われることが多々あります。そのときには、自分の話はせずに、ちひろのことだけを話します。
ちひろの願いは、子どもたちが幸せに生きられる社会を作ること。そのような願いを伝えることも、私たち親族の役割だと思っています。
絵本の挿絵は時代を映す鏡
ーーすでに、松本さんのイラストは、ちひろさんのものとは全く異なる世界観が確立されていると思います。絵本に絵を描く際に気を付けていらっしゃることはありますか?
松本 私が生きた時代、経験してきた実感を詰め込むことです。例えば、子どもを一人描くのも、街を描くのも、絵描きが生まれた場所や時代によって多様に変化します。どの作家も、自分の経験に基づいた美意識や想像力を働かせて、自分のスタイルで描いています。
少し前の話ですが、金子みすゞの詩に私の絵を添えて本を作ることになりました。小さい頃、1985年に発表された『ほしとたんぽぽ』を好きでよく読んでいたのですが、そこで描かれた女の子がとても悲し気で…。
でも、みすゞの詩自体はとても楽しくて、明るい詩もたくさんあります。みすゞの詩に絵をつけるとき、みすゞの詩の世界にある子どもの姿を、私のファクターを通して、忠実に描くようにしました。
ーーみすゞさんの詩を選ぶときには、明るい詩を選ぶようにしたのですか?
松本 寂しさを感じるものもありましたが、例えば、その詩に、ボロボロの服を纏った子どもが泣いている絵が添えられていたら「悲惨な生活を送って耐えられないんだな」と感じますし、パステル調の色彩の中にちょっと寂し気な表情をした子どもを描いたなら「日常生活の中にほんの一瞬寂しさを感じたのか」というように見えます。添えられる絵によって、読み手の受け取り方がずいぶんと違ってきます。それが男の子なのか、女の子かによっても、寂しさの裏にある背景も変わってきます。色んなタイプの詩を女性の視点で選ぶようにしました。
というのも、これまでは男性の評論家が、男性の視点でみすゞの詩を選び、世に出してきました。なぜか添えられる絵がとても悲し気なものが多かった。だから、世間では、「みすゞの詩は、どこか儚げである」というイメージが定着してしまいました。
でも、実際に、みすゞの詩を全部読んでみると、そうではないことがわかります。みすゞの詩には、私のようにヤンチャな子や元気いっぱいの子も登場するし、いたずらっ子の視点で描かれているものもあります。みすゞの詩には、さまざまな子が登場します。みすゞと同じ女性として、また、彼女とは違った現代を生きる私なりの解釈で絵を描きました。
自分の最高傑作は最新の作品
ーーこれまでで一番記憶に残っているご自身の作品は何でしょうか?
松本 どの作品も最大限の力で丹精込めて作ってきているので、どれが一番と区別するのは難しいのですが、あえて言うなら、最新作が自分の最高傑作だと思うようにしています。
今年(2022年)6月に発売された『バスが来ましたよ』というお話は、和歌山の盲目の男性の通勤を、近所の子が「バスが来ましたよ」と声かけし、サポートをしたのをきっかけに、その子たちが大きくなっても次の世代の子どもたちにその支援がリレーされて、10年以上続いたという実話がもとになっています。絵本を作るにあたって、実際に取材させていただきました。
背中に添える手のあたたかさや、香りなど、視覚以外の感覚でこの物語に引き込まれるように描きました。読者にさらなる親切のリレーを繋げることができたら嬉しいですね。
ーー母親になってみて、これまでの活動にどんな影響がありましたか?
松本 絵を描く中で、子どもの月齢や年齢を、リアリティーを持って表現できるようになりました。また、子どもが選んでくる絵本や音楽は、自分が選ばないものだったので、その良さを再発見し、自分の幅が広がりました。今、娘は小学1年生なのですが、令和の視点で、私の作品のラフをチェックし、意見をしてくれます。
ーー娘さんはどういった指摘をされるのですか?
松本 娘は私以上にフェミニストで、例えば男の子が競争しているシーンを描いていると、「何で男の子なの?私も競争に参加したい」と言ってみたり、男だから女だからという固定概念がないですね。(娘は)決まった枠にはめて描いている絵には、鋭い指摘をしてきます。今の子どもたちは多様性を認めていこうとする時代に生まれているので、いろいろな子たちを描くようにアドバイスをもらいます。
また、大人が面白いと思って描いた話の展開を「面白くない」と一蹴したり。結構、細かいところまで見ていて、「なんでここはこうなっているの?」と聞いてきます。大人のような先入観がないので、色とか形を直感的に見て、判断します。大人とは違う視点で、物語を読み取ってくれるので、とても頼もしいですね。娘は、今では重要なアシスタントです。
絵本作家としての絵本文化を広める活動
ーー日本では、他国と比べるとさまざまな絵本があり、文化として発展しているように思えます。他国と比較して、日本の絵本文化の特徴についてどのようにお考えですか?
松本 もともと、日本には絵巻や草双紙など、絵と文字がセットになった読み物があり、絵本や漫画などが根付きやすい環境にありました。加えて、戦後には欧米の絵本が流入し、すごい勢いで日本の絵本市場は発展していきました。日本は「絵本先進国」といっても過言ではありません。
それに日本は海外に比べて家も狭いので、子どもが小さい頃は一緒に寝て、寝る前に本を読み聞かせるという家庭も多くあります。一つの本を一緒に読んで、意見を出し合う。親子の絆が育まれる大切な時間です。そのような日本独自の住環境も、絵本文化が発展しやすい土壌を育んでいたのだと思います。
ーー講演活動でどのようなことを伝えたいですか?
松本 絵本は子どもから大人まで、国籍問わず堪能できる文化財。絵本を開けば、現実の忙しい生活の中では忘れがちな多様性や「数字だけでは判断されない」世界が広がり、心が柔らかくなっていきます。絵本は、ページが少なく余白があるので、自分の思いや経験、想像力を自由に重ねて読むことができ、子どもだけでなく大人も自由な受け取り方ができるメディアです。
そして、絵本は誰かと一緒に楽しめるコミュニケーションツールという魅力もあります。他者と共に読む時の声の振動や体が密着する時の温度、重さ…。同じ絵本を読んでも、読むたびに違う経験となっていきます。たくさんの人々に絵本の良さを伝えていきたいです。
ーー最後になりますが、今後の夢を教えてください。
松本 とにかく、たくさんの方に絵本の良さを伝えて、絵本で心が豊かになる社会を作っていきたいですね。
また、今後も、私は「いわさきちひろ」の孫、そして同じ絵本作家として、祖母が生前より大切にしてきた「子どもの平和としあわせを」という願いを、彼女の作品と共に伝えていく活動も続けていこうと思っています。祖母を見習い、自分の作品や活動を通し、「北風と太陽」ならば太陽のやり方で、私たちが暮らす社会を心地の良い、あたたかい場所にしていきたいと思います。
ーー今回のインタビューをさせていただき、ちひろさんの孫としての役割、また絵本作家としての使命を強く感じられました。また、絵本を開きたくなる、そんな時間となりました。本日は、ありがとうございました。
まだ会ったことのない祖母
絵本作家「いわさきちひろ」とは?
前編では、自宅が美術館という特殊な環境で過ごしてきた子ども時代、また松本さんが小さな頃から抱いてきた「いわさきちひろ」のイメージについてお聞きしました。そこには、世間のイメージとは異なる「ちひろ」像がありました。…
松本春野 まつもとはるの
絵本作家 イラストレーター
祖母は絵本作家のいわさきちひろ。父はちひろ美術館創設者。多摩美油画卒後『絵本おとうと』(山田洋次監督監修)で絵本作家デビュー。その後、大人向け絵本(NHK『モタさんの“言葉”』絵本化シリーズ他)、多様な社会問題(『ふくしまからきた子』等)、食育など幅広い分野で活躍中。メディア掲載多数。
プランタイトル
「世界中のこどもみんなに 平和と しあわせを」
いわさきちひろが残したものと、わたしが絵本でできること
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