幼少期のいじめ、家庭でのネグレクト、さらにはICU在学中に未婚の母へと、さまざまな経験を持ち、現在は生活保護申請サポートや障害福祉、国際業務を中心として行う特定行政書士として活躍する三木 ひとみ氏に、これまでの生活保護申請サポート数10,000件以上の経験から、生活保護についての偏見や想いについてお伺いしました。

幼少期の辛い経験がばねとなり、夢のアメリカ留学へ

ーー早速ですが、どんな幼少期を過ごされたのでしょうか?

三木 はい、私は幼少期からずっといじめに遭っていました。3歳で両親が離婚し、母親に育てられたのですが、家では今でいう、ヤングケアラーでした。
母は小学校教諭だったため、勤めはしっかりと果たしていましたが、無理をしていた分、ほころびが家で出てしまい、うつ状態でした。帰ってこない日があったり、家を片付けられなかったり、料理ができなかったり、半ばネグレクトのようでした。
さらに私たちの面倒を看ていた祖母が腎不全と認知症を患い、妹と共にそんな環境のなかで心細い夜を過ごすといった暮らしをしていました。

だから新しい服は買ってもらえない、いつも同じ服で汚れている…そんな自分だったので、学校ではいじめられていました。
けれど、そんなことを家で言ってしまっては病気で辛い母をさらに苦しめてしまうと思い、家では明るく演じていましたね。学校では遠足や実験、修学旅行とかグループを作って何かをする行事は仲間はずれになるので大嫌いでした。
ただただ、黙って授業を聞いている方がよっぽど気が休まるので、勉強だけが救いの子ども時代でした。

ーーそうした状況から交換留学生に応募しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

三木 家はゴミ屋敷でしたが、ゴミ屋敷の中で勉強していてもなんにもやる気が起こらないんですよね、当時は勉強していても成績は上がりませんでした。しかし、あるとき母がレンタルビデオを借りてきて、その中に「ウエストサイド物語」という映画があったのです。
アメリカの高校生がものすごく楽しそうな学生生活を送っている内容で、アメリカに行ったら、こうした楽しい高校生活が送れるのではという憧れの気持ちが大きく生まれました。

母に留学したいと相談したところ、資金がないので協力はできないけれど、とにかく勉強を頑張って成績が良ければ交換留学生という制度があるということを教えてくれました。その情報が載っている本を借りてきてくれたり、雑誌を買ってきてくれたりしたので、こまめに情報を集めていました。すると、とにかく勉強を頑張って、成績上位を取るしか、留学できる道はないということが分かり、それ以降は食べて寝る以外はがむしゃらになって勉強に勤しみました。そして、ようやく交換留学生に選ばれました。

――ついに交換留学生としてアメリカに行くことになったわけですが、留学して分かったことやどんなことを多学びましたか?

三木 義務教育期間中はずっといじめに遭っていたため、自ずと人と話さない生活をしてきたことでコミュニケーション能力が圧倒的に欠けていたんですね。
そんななか、アメリカでの生活は一筋縄ではいきませんでした。最初のホストファミリーの父親が亡くなり、2週間で家を出なければならなくなりました。自分で同じ高校に通う同級生に声をかけてホストファミリーを探してようやく見つけた先で、今度はそこの男の子がストーカ―をするようになり、また家を出なければならなくなりました。ホストファミリーはボランティアでやっていただいているので自分で交渉しなければなりません。日々生きていくために交渉することは本当に辛くて大変でしたが、同時に生きる力も湧いてきましたね。
そして、短期間でトラブルや交渉などに対応してきたことから、英語力、あと懸念だったコミュニケーション能力もぐんと向上したように思います。

――たくましくなったあと、帰国されるわけですがそこでICU(国際基督教大学)を選んだのはどうしてですか?

三木 留学した団体での交流会というものが定期的に開催されていて、先輩方と交流する機会があったのですが、なかでもICUに通っている先輩がとても優秀な方が多かったことが選んだ理由のひとつです。
ただ、実際に入ってからは苦労しました。帰国子女が多く、たかだか1年アメリカに留学しただけの私では英語力が比べ物にならなかったんです。周りは本当に優秀な人ばかりで、その点では少し悩んだ時期もありましたね。

大学在学中、未婚の母への大決断

▲大学時代に出産したお子さんの百日祝時の記念写真(画像:三木さん提供)

――プロフィールにICU時代に未婚の母になったとありましたが…。

三木 はい、そうですね。大学に入ったのは良かったのですが、周りが優秀であるがゆえに、なかなか努力しても報われないということもあり、勉強以外のサークル活動や遊びなどにも活動を広げていっていた時期でした。
妊娠した時は、同級生や親族も全員が反対している状況でしたが、自分の産むという意思は揺らぐことなく、一人で未婚出産を決断しました。
当時は、妊娠出産はどうしたらいいのか分からなかったのですが、自分でできる限り調べながら、とりあえず出産費用や必要なものを揃えるための費用をアルバイトで貯めました。確か、出産する当日までアルバイトをしていました。

――周りのサポートが全くない状態での出産は大変だったのではないでしょうか?

三木 出産するまではアルバイトができていましたが、出産直後はアルバイトもできなければ、保育園も探せない状態でしたので、奨学金の枠を増額して生活をやりくりしていました。
社会に出る頃には1,000万円近くまで借りていました。そのおかげで、最低生活という部分では大丈夫な暮らしでした。ただ、思い返すともう少し法的な支援を受けられていたら、子どもにとっても母体にとってももっと良い選択ができたのではとも思います。

私の母も、うつ病でネグレクト状態ではあったものの、何かしらの食事を1日3回は必ず出してくれていました。だから私も子どもには1日3食食べさせるということだけは守って、子育てをしてきました。

――それから、どのようにして生活保護の制度と関わるようになったのでしょうか?

三木  あるときまでは変わりなく、子どもを一人で育てる生活をしていましたが、会社勤めをするなかで、ある男性からストーカーされるようになりました。刃物で脅されたこともあり、それを3歳の娘が見てしまい、これはダメだ、逃げようと思いました。
仕事もやめて、ストーカー被害者のためのシェルターに入ることになりました。シェルターでは食住の提供はありましたが、自分で稼ぐこともできなかったので、無一文状態になりました。

そこで、私は私と同じようなフィリピン人のシングルマザーに遭いました。彼女は、3人の子どもがいて生活保護をもらっていると話していました。私の状況を話すと彼女が「あなたも生活保護もらえるよ」と。
早速シェルターの方に自分も生活保護を受けたい旨を相談すると、「親が公務員だから無理でしょう」と言われました。
役所の方も話を聞きに来てくれましたが、私の家族の状況を聞くと同じく難しいという返事でした。やはり、生活保護は簡単には受けられないのだという印象を受けました。

――生活保護が受けられないと分かってその後はどうされたのですか?

三木  生活保護を受けられないなら、なんとか働くしかありません。ただ、シェルターに入るきっかけとなったトラブルのトラウマから外を出歩くこともままならない状態だったことや、何より子どものことを想うとできる限りそばにいたいと思っていたので、在宅でできる仕事を探しました。
そこで、当時はすぐに生活費が必要だったこともあり、チャットレディの登録をして日々の暮らしをやりくりしていました。
それと同時に、ゆくゆくは翻訳の仕事が家でできるように空き時間で勉強もしていましたね。

翻訳家から行政書士の道へ

――そこから行政書士になられたきっかけを教えてください。

三木  その後、私は翻訳家となり、結婚して2人目の子どもを出産したのですが、出産後また仕事がしたい、できるなら子どものそばで仕事がしたいと思い、行政書士の資格取得の勉強をはじめました。
当初は、開業することを考えていなかったのですが、いざ、行政書士の資格を取り、行政書士会に登録をしたところ、(以前就職した)元リクルートの営業魂が燃えてきまして(笑)、得意の飛び込み営業をするようになったのです。
自分の留学経験から、国際業務に携わろうと思い、日本語学校や韓国の教会ばかりに行っていたのですが、そんななか、無年金で生活保護を受けたいという方に出会ったのです。
生活保護を受けたいけれど、どうすればいいか分からないといった方が想像以上に多いことが分かり、当時は個人レベルで、生活保護を受けられるようなサポートをしていました。

――行政書士から特定行政書士になられたと聞いています。行政書士とはどう違うのでしょうか?

三木  特定行政書士は、行政書士試験のほかに、さらに研修と試験を受けなければなりません。行政書士全体の1割ほどしかいないと言われています。
特定行政書士は、行政書士にはできなかった不服申し立て手続きができるようになります。
そのため生活保護申請のサポートをするのであれば特定行政書士のほうが、皆様をとことんサポートできると考えました。

生活保護は最低限の生活を保障する気軽に頼れる制度

▲三木さんは相談者の代わりに病院での書類を作成する業務も行う(画像:三木さん提供)

――生活保護と聞くとあまりいいイメージが良くない印象があります。

三木  やはりそうなんですよね。実際には誰もが必要なときに受けられるとても素晴らしい制度です。ただ、もらうことには気が引ける、なかなか申請が下りないといったイメージを持っている方も少なくないのではと思います。
ところが、生活保護は、今の生活に困っているのであれば助けてくれる制度です。長期的にはもちろん、一時期の短期間だけ受けることもできます。困ったときに、誰かを頼らなくても、国が最低限の生活を保障してくれる、とても優しい制度です。

――家や車があると生活保護を受けられないと聞きますが…。

三木  そんなことはありません。家や車を持っている場合でも、今現在食べることに困っているのであれば何かしらの行政救済によって、1日に3度の食事、寝る場所などは必ず保障されるよう対応してもらえます。細かな要件はあるかもしれませんが、家や車を所有しているからといった理由だけで何も受けられないことはありません。
また、年齢や理由、健康状態に関わらず、真に困っていれば受けられます。ですので、何かしら生活に困っている場合は、すぐに相談に行くべきだと私は考えます。

なかには、生活できない人をその家族が援助し、全ての資産がなくなったところで相談に来られる方もいらっしゃいますが、扶養親族がいても、っているその人だけ生活保護を受けることも可能です。

父母が亡くなり、就職できない弟がいて、その弟を姉が見ていたというケースがありました。姉も結婚して家族があり、そこまで弟に支援できるわけではありません。自身の生活も限界が来て、ご相談にいらっしゃいました。私は、できることならもっと早く相談に来てほしかったと思いました。

もし姉に資産収入があったとしても、弟が一人暮らしで最低生活できないという時点で、生活保護を受けることはできます。最低限の生活ができない家族のために自分の生活を犠牲にしてまで負担する必要はないのです。
また、もしも生活保護を申請して却下となった場合でもその理由が明確に分かるため、その懸念がクリアできればいいということです。一度申請したからといって不利益を被ることもありません。

――コロナウイルスの影響で生活保護がより身近になった気がします。以前に比べて何か変わったでしょうか?

三木  以前に比べると役所の対応が柔軟になってきているように感じます。メールで24時間受付できるようになっていたり、扶養照会や親族への連絡も強要しないことになっていたりと、生活保護を受けられる要件自体は変わっていませんが、(役所の)対応が柔軟になっていることは確かです。恐れずに相談してほしいと思います。
また、困っている方を守る国の制度はいろいろとあるため、最後の最後に相談するものだと思わずに困ったらすぐに相談してほしいなと思っています。

――生活保護に対して実際にはどのような相談内容が多いのでしょうか?

三木  本当にさまざまですが、前提として行政書士に相談したいと思うケースはご本人よりもその家族や友人が多い傾向にあります。
例えば、親御さんが施設に入る際にお子様からの相談があったり、親御さんからお子さまがニートでこれからのために生活保護について知りたいなどというケースも多いです。

――生活保護はどのような制度だと思われますか?

三木  生活保護は困った時に誰かに頼らなくても国が助けてくれる制度です。私自身行政書士として知識を深めてきたなかで生活保護という制度はなんていい制度なのだと改めて思うようになりました。でも、制度自体に偏見を持っていたり正しく理解していなかったりする人がとても多いことも事実です。
私は生活保護の制度は、要件を満たしていれば誰でも使えるという面で失業保険と同じような立ち位置のものだと思っています。
ぜひ多くの人に知っていただき理解してもらえたらと思っています。

生活保護の相談をもっと気軽にできる社会を

▲三木さんは学生に生活保護に関して正しい知識をつけてもらうため、大学などでも講義を行っている(画像:三木さん提供)

――講演ではこのようなお話を聞かせていただけるのでしょうか?

三木  そうですね。みなさん生活保護と聞くと、「なかなか難しい」「申請が大変だ」などといったことを思われる方が多いのですが、本来は要件を満たしていれば難しい条件などは他になく必要になったときには誰もが利用できる優しい制度だということを伝えています。
また、法律などを見てもなかなか理解しづらかったり、歯にものが挟まった言い方をされて全然分からなかったりという経験をされた方も少なくないようです。行政書士としてこれまで対応してきた経験を活かしながら、その辺りも噛み砕いて分かりやすくお伝えできればと思っています。

――最後に、今後の夢を教えてください。

三木  はい、私の夢はこの講演活動を通じて、生活保護の制度がより正しく日本社会に広まることです。それによって、私たち行政書士が生活保護の相談を受けなくても、正しい知識をみなさんが持っていることで公的機関に必要な相談ができ、必要なサポートが受けられる、本当に必要な人がご自身で必要な手続きができるようになることです。

これまで、行政書士として1万人以上の方の生活保護申請をサポートしてきましたが、世界でも類を見ないこの温かな制度が正しく浸透していくことで、お腹を空かせて困っている人がいなくなる、安心して過ごせる、貧困から自分の意に反することを選択しなくていい、そんな社会になることが私の夢です。

その夢を実現するために『わたし生活保護を受けられますか』という本を書きました。
私のこれまでの経験や知識をわかりやすくまとめています。

持ち歩きやすいサイズですのでいざという時のために備えておいていただくのにもいいです。ぜひ、一度手に取ってみていただけると嬉しいです。

生活保護は、要件を満たせば無期限・無制限で利用でき、自立を促してくれるだけでなく、必要であれば生涯利用できる制度です。偏見なく、正しい理解が広まることでみなさんが温かく、安心して過ごせる社会になってほしいと願い活動しています。

――ありがとうございました。今回お話を聞かせていただき、三木さんの幼少期の体験、また、在学中に未婚の母となった経験などさまざまな苦難を乗り越えて行政書士になられたということ。また、それらの経験から生活保護という制度を正しく知って前向きに使ってほしいという熱い想いに通じている気がいたしました。

また、生活保護について詳しく教えていただき、より身近に感じることができました。ぜひこれから講演活動を通じて一人でも多くの方にその知識や情報を知っていただきたいと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。

三木ひとみ みきひとみ

特定行政書士 生活保護申請サポート数10,000件超えの行政書士

人権・平和福祉・介護コンサルタント

3歳で両親が離婚。その後、壮絶ないじめに遭うが、猛勉を経て米国留学。帰国後ICUへ進学(在学中「未婚の母」に)。リクルート勤務時にストーカー被害に遭いシェルターに入所。苦難の末、現在は特定行政書士として活躍中。著書『わたし生活保護を受けられますか』(図書館振興財団「新刊選書」)

プランタイトル

【わたし生活保護を受けられますか】の著者
生活保護申請サポート数10,000件の行政書士
誤解や偏見なく生活保護制度を正しく理解しましょう!

講師プロフィールへ移動

講師がお気に入りに登録されました
講師がお気に入りから除外されました

あわせて読みたい



 他の記事をみる