日米ボランティア比較
~東日本大震災において~

ダニエル・カール だにえるかーる

タレント
山形弁研究家

想定する対象者

一般
学生
保護者
教職員

提供する価値・伝えたい事

オラは子供の頃からボランティアに触れて育った。
アメリカでは毎週教会に行く習慣が有り、5,6歳の頃から恵まれない人達のためにボランティア活動をやっていた。
クリスマスの時期に寄付してくれる品物を探したりそれを配ったりした。そうやって育った。

内 容

■今回のボランティアの始まり
2011年3月11日の東日本大震災が起こってからすぐにツイッターで日本語のニュースがよく解らない在日外国人に向け、英語で状況を伝えた。今回のボランティアの始まりだ。

本当はニュースで東北地方の様子を知ったら、スコップを持ってヒッチハイクしてでもすぐにでも飛んで行きたかった。
まだ道路が開通せずしばらくは東京で待っていた。

オラは日本に来て、最初の奈良を始め皆さんにもの凄く世話になっているんだ。
あれから30年以上も住んでいるのは日本の人も好き。国も好き。感謝しながら暮らしている。
それがあの地震・津波であんなにひどいことになっている。身体の中にじっとしてはいられない感情が沸き起こった。
どう表現すればいいのか解らないけど。

■タレント ダニエルでは無く一人の人間ダニエルとして
道路が復旧し始めたので山形の役場と連絡を取り、避難所にいる人たちに必要な品物を集め、すぐに4月1日からレンタカーを借りて運んだ。4日間掛けて廻った。

仕事の合間をみてなので思う様に行かないが6月末まで12回ほど行った。
東北道が開通してからは主に岩手県の山田町に行っています。これは震災の前年末に講演会で行った場所です。
この場所は海と山が近く、しかも山に囲まれて道路が狭い。自衛隊などの大きな車は入る事が出来ない。
ということは物資が行き届かない。

行ってみるとやはりそうだった。
避難所もお寺や保育園や普通の家に何人かまとまっている。早速物資を渡す。
でも皆さんは顔を上げられない程のショックだ。2回目からは2トントラックを借りて物資を詰め込んで行った。勿論一人で。タレント ダニエルでは無く一人の人間ダニエルとして行っている。2回目3回目と行く内に、皆さんに少しづつ元気が戻て来たようだ。オラの顔を見るようになった。あれ英語の先生でねの、とか誰かと間違われた事も。

次回は何を持ってくればいい?と聞く。新鮮な野菜、卵、納豆・・・ツイッターで呼びかけて寄付してもらったり、東京の市場で売れ残りそうな野菜を安く売ってもらったりして、沢山の人が協力してれました。現在も継続中ですが。
はじめは物資を、今はオラの元気も、そして今後は復興に向けての方向性をボランティアで知り合った人達とも考えて行きます。ボランティアの心は人間一人一人が必ず持っていると信じます。人に言われなくとも沸き起こってくるものです。

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