いじめ。
一定の社会的環境条件のなかで人間が怪物になる問題。

内藤朝雄 ないとうあさお

明治大学文学部 准教授

想定する対象者

いじめが酷くなる条件。いじめのメカニズム。いじめ対策。
人間が残酷になる条件。暴力や迫害の抑止
いじめは、学校の大きな問題であると同時に、学校の生徒だけでなく、すべての人にとっての看過できない問題。

提供する価値・伝えたい事

いじめがどういうふうに蔓延しエスカレートするか。いじめのメカニズム。いじめを抑制する政策。いじめ対策。人間を残酷な怪物に変化させないための条件。

内 容

まず断っておきたいのだが、
狭い空間に強制的に閉じこめ、心理的な距離を自由に調節することができないようにして、赤の他人と無理矢理べたべたさせる、そして過密な「かかわりあい」のなかで誰かが誰かの運命を左右するのが容易な「迫害可能性密度」が高い生活環境の中にあっては、悪質ないじめは、時代に関係なく、必ず蔓延する。

今の日本の中学校でも、戦前の日本の軍隊でも、江戸時代の大奥でも、そういうねずみの過密飼育実験のようなことをすれば、いじめがひどくなるのは当然で、それは人類普遍の現象だ。

いじめは、児童虐待やDVと同様、人権や個の尊厳に価値がおかれなかった昔のほうが、ただ問題にされなかっただけで、もっと酷かったと予想される。戦争中に集団疎開した世代が経験したいじめがいかに陰湿なものだったかは、彼らの回想録やインタビューなどに記録されている。

いじめは最近の問題ではなく、わたしたちが長年苦しんできた普遍的な人類の病気だ。
いじめを減らす地球規模のプロジェクトを始めようとわたしは言いたい。  

いじめは二つに分類できる。
一つは暴力系のいじめ、もう一方はシカト、くすくす笑い、悪口などのコミュニケーション操作系のいじめだ。
それぞれ別の方法で対処する。
まず、暴力系のいじめは犯罪なので、法的に対処し必要ならば警察や弁護士にまかせるべきだ。加害者の生徒を出席停止にすることにも賛成だ。教師が子どもをいじめている場合は教師を懲戒免職にすべきだ。
問題は、コミュニケーション操作系のいじめだ。隠微で曖昧な笑いやしぐさ、どうとでもとれる言葉を「いじめ」と判断し、処罰を下すことは、現実的には不可能だ。 見えないステルス爆撃機のように、目の前で生徒がいじめをしたことを気づかない。 特に男性に思春期の女の子のちょっとしたしぐさのいじめを見抜く能力を期待するのは、神の目を演じろと要求するような、無理な話だ。

しかし解決は簡単だ。
学級制度を廃止すればいい。子どもたちを限定された空間と人間関係に軟禁する学級制度を廃止して、より広い生活空間で友だちを自由に選べるようにすれば、コミュニケーション操作系のいじめは、あっというまに他人を苦しめる力を失ってしまう。

日本の学級ほど人間関係がタイトで、一つの空間に同じ集団が朝から夕方までキチキチと押し込められる例は、めずらしい。この中で、誰かから人としての尊厳を踏みにじられるような行為を受けたとしても、閉ざされた人間関係にあってはその子は無理に心を屈し、嫌われない努力をするほかない。『迫害してくる相手とは適度に距離を置く』という、一般社会では誰もがやっている心理的な距離の調節を、子どもにだけ許さないのが現在の学級制度なのだ。そこに、コミュニケーション操作系のいじめが生まれる。

本来、机を並べる相手は授業ごとに違っていていいし、いつもの教室で決まった相手と食べる給食ではなく、カフェテリアで気の合う相手と食事をするスタイルでもいいはずだ。部活動にしても学校に頼る必要はない。ドイツなどが典型だが、子供たちはスポーツや文化活動も学校とは別の地域クラブに所属して行い、そのたびに人間関係のバリエーションを増やしている。これに対しクラスという枠に固定され続け、ほとんどその範囲内でしか人間関係を選べないのが日本の子どもたちの現状だ。

もう一つは、学校を神聖化することをやめるべきだ。これまで日本では、学校を神社仏閣のようにあがめ、教員を聖職者のように扱ってきた。

その結果、学校を中心にして、子どもたちを、魂の深いところから、「学校の色」に染め上げてしまうことが、残酷ないじめや市民的自由の剥奪など、様々な問題を引き起こしているのだ。彼らは学校で閉鎖的な集団生活さえしなければ、こんな「学校色のけだもの」にならなかったはずだ。人を集団生活に染め上げる学校には、有害環境としての側面もある。

学校のあるべき姿をまとめる。生徒にせよ教員にせよ、暴力に対して厳罰。少なくとも第二次成長以降は、学級制度を廃止する。べたべたした集団を強制せず、服装や生活態度は自由。自由な服装やピアスやチャパツなど、外の社会で許されることは学校でも許される。暴力や、暴力的な内部組織による支配、先輩後輩などの身分的な上下関係による命令と服従の強制など、外の社会で許されないことは学校でも許されない。

就職や資格認定など能力によってふりわけられる社会の厳しさは、学校でも取り入れる。学年制を廃止して単位制にし、学習の到達度は厳格に審査する。学校を、普通の市民社会の論理で運営する。あれもこれもと、生徒の生活を過度に囲い込まない。学校に生徒のありとあらゆる生活機能を押しつけない。部活は廃止し、公共の財産である土地建物を、半日は学校施設として使い、後の半日は社会教育の施設として地域の市民クラブに施設を貸す。生徒は、半日は学校教育で、あとの半日は市民クラ ブによる社会教育によって、教育福祉サービスを受ける。

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