いまこそ原点に学ぶ「共済精神よ、高まれ!」 -賀川豊彦とJA共済-

和田武広 わだたけひろ

共済研修講師
賀川豊彦研究家

想定する対象者

・JA役職員。特に、リーダー職員、ライフアドバイザー(LA)、スマイルサポーターなど。
・JA共済連職員
・協同組合運動関係者

提供する価値・伝えたい事

いま、政府が進めている「JA改革」のなかでは、協同組合組織の株式会社化議論がされるなど、JAグループは大きな岐路に立たされています。
こうしたなか、“いまこそ”「JA共済の父」である賀川豊彦の共済事業創設に向けた“高い理想”と“熱い思い”、そして、賀川豊彦に指導・触発され、幾多の困難を乗り越えながら、今日の共済事業を築き上げてきた先人たちの苦難の歴史に学び、その理念と歴史を私たちが共有することが必要ではないでしょうか。
そして、自ら携わる仕事の原点=理念を再確認し、“誇り”を持って仕事に取り組むことが、モチベーションアップにもつながり、さらには、共済事業、そして日本の協同組合運動を守り、未来に向かってさらに発展させていく鍵にもなるのではないでしょうか。

内 容

□なぜ、いまこそ“原点”なのか?
・時代を超え、際立った存在であり続ける企業(ビジョナリー・カンパニー)に最も必要なものは、時の試練に 耐え、変わることのない「基本理念」であった。
・「JA共済の父」、賀川豊彦がめざした「愛と協同の社会づくり」の理念・実践から、JA共済の原点=理念“いまこそ”考える。

□賀川豊彦って、どんな人?
・「近代日本を代表する人物(大宅壮一)」で、戦前「世界三聖人」として世界的知名度。
・孤独な少年期、キリスト教との出会い、そしてスラムでの伝道・救貧活動。
・「救貧」活動から「防貧」活動へ。労働運動、日本農民組合、普選運動、無産政党樹立運動、セツルメント活動、協同組合運動など各方面に広範囲な社会運動を展開。
・協同組合運動で、“真の理想社会”をめざし、消費組合、信用組合、医療組合等を次々設立。日本の協同組合運動最大の功労者⇒「JA共済の父」「生協の父」。
・日本国内だけでなく世界各地で伝道・講演活動を行い、世界の「カガワ」に。
・世界連邦運動など平和活動にも尽力、二度のノーベル平和賞候補。
・空前のベストセラー「死線を越えて」等膨大な著作。ノーベル文学賞候補にも二度。

□賀川豊彦とJA共済のあゆみ
・賀川の協同組合思想とは⇒資本主義でも共産主義でもない「第三の道」として、「人格」と「兄弟愛(友愛)」の理念に立った各種の協同組合から構成される協働の社会づくりを目指す。
・賀川がその実現に情熱を傾けた協同組合保険は、産業組合の長年の悲願でもあった。
・「協同組合保険論」や「乳と蜜の流るる郷」等で協同組合保険の必要性を訴える。
・散文詩「産業組合に心臓を与えよ」で「共済精神よ、高まれ!」と高らかに訴え。
・産業組合の保険会社買収計画を進言。紆余曲折後、共栄火災海上保険会社の設立へ。
・終戦後、協同組合保険研究会を組織。政府委員として協同組合保険の法制化に奮闘。
・1947(昭和22)年成立の農協法の共済条項をもとに、1948年7月、北海道共済連設立された。全国に先駆け、北海道で共済事業が開始した背景には、「共済」をめぐる三つの流れがあった。
・賀川を中心に協同組合保険法制化をめざした中央と、共済連を設立し全国展開を呼びかけた北海道。二つの流れが合流へ。賀川が北海道の実情報告を受け、下した決断とは?
・1951(昭和26)年1月、全共連が設立された。全共連顧問になった賀川は、共済事業指導者講習会で“火の出るような熱弁”で職員を指導。そして「錦の御旗」となった賀川の揮毫。30を超える県で”熱い”講演。
・初の全国表彰式での“思い”を込めた賀川豊彦の来賓挨拶とは?
・講演と伝道途上で倒れ、一年余の療養の甲斐なく1960年4月、71歳で永眠。
・賀川豊彦の「遺言」とは?

□おわりに
・誇り(pride)とは
                                                             以上

  ※講演内容の詳細は、下記ブログを参照してください。
            ↓
   http://blogs.yahoo.co.jp/kousiwd/33440246.html
  YAHOO ブログ [カテゴリ(ビジネスと経済-業界-人材教育)] 
  タイトル「JA共済研修講師日誌」

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