子どもの心はどこへ行く?
~学級崩壊より怖い心崩壊症候群~

尾塚理恵子 おづかりえこ

一般社団法人kokoro教育研究所代表理事
コミュニケーション研究家

想定する対象者

幼・小・中の保護者・教員の方々

提供する価値・伝えたい事

本講演では、5年間民間人校長として学校現場に関わり、特に壮絶ないじめ問題と真正面から関わった立場として、
またさまざまな立場の保護者と関わった経験をもとにして、今のいじめの現状を民間人感覚で見てきたことを伝え、
育ちの段階にいる子どもの親としていじめとどのように関わったらいいのか、
そして、子どもが「心崩壊症候群」と戦っている状況のなかで、親として、教員として、
どう子どもといじめに取り組むべきなのかを伝え、誰もがいじめについて真剣に考える機会にする。

内 容

今、学校現場で起こっている「いじめ」は社会問題になっている。
実際、目に見えているいじめは、ごく一部で教員や親が把握できていないものも多々ある。
事実が見えないのは、子どもたちが隠すからである。
その隠し方は巧妙でなかなか大人たちには見抜けないものである。
学級崩壊は外から見える。学習への反発、教師の技量の低さ、ストレスの発散など、
外から見て誰もが分かる上、何よりも担任がその状況を実感するから、
その解決策に学校が取り組むことができる。

しかし、いじめは、なかなか把握できない。加害者ばかりではなく、被害者ですら、いじめの存在を隠すからだ。
お互いに隠すから、担任や親が、その事実を把握することが困難になる。
大人が把握できないから、どんどんいじめは深刻になっていく。その段階で、
被害者だけではなく、加害者も心を崩壊させていくのだ。

その加害者の心は、親が、いじめの事実が発覚した時に、簡単に怒って解決するものではない。
今や、「子どもは寂しいからいじめに走る」「もっと自分をみてほしいと思っている」といった見方だけでは、
子どもたちの屈折し揺れ動く心を正してやることはできない。

いじめはやっていけないことだということは分かっているけれど、自分では抑えきれない感情が優先してしまう。
また、グループ化してしまうと、罪悪感が薄くなって、やってしまう。
私が関わった児童たちが言うには、
「最初は悪いことだと思っていたが、繰り返しやっているとだんだん面白くなっていった」と声をそろえて言っていた。
だんだん罪悪感がマヒしていくのだろう。
それが、ゲーム感覚になっていく。この段階になると、加害者たち自身もどうしようもない感情を持て余していくのだ。
怖いことだが、正しい心が崩壊していくプロセスなのだ、

実際、同級生の被害者が不登校になったり、PTSDにかかって教室に入れなくなっても、
加害者たちには反省の色がみられないのも事実だった。

いじめという事実が明るみにでて、加害者たちから聞き取りをしても、そこには心底反省している姿は見られない。
そこには、何が本質なのかを見失ってしまった子どもたちがいたのだ。

 このような精神状態にいるのは、実際に加害者になった子どもだけではない。
どんな子どもも持っている感情なのだ。だからこそ今、子どもたちの心のあり方と向き合うことが、
周りの大人に求められているのだ。

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