折れない心 ~逆境を力に~

斉藤和巳 さいとうかずみ

野球解説者
元 プロ野球選手

想定する対象者

企業の経営者、中堅社員から新社会人など、社会人全般

提供する価値・伝えたい事

2度の沢村賞を受賞するなど、常勝ホークスのエースとして、チームリーダーとして、言葉でそして背中でチームを支えてきました。しかし、ユニフォームを着た18年間のうち、華々しい期間はおよそ4年と短く、ほとんどの時間を怪我との戦いに費やしました。そんなつらい時期に「心のスタミナ」を培ったからこそ乗り越えられたことが多くありました。

順風満帆な野球人生でなかったからこそ、経験できたことがたくさんあります。
怪我をして野球ができない時期があったからこそ、考え方の角度や目線を変えてチームや選手を見ることができたと思っています。もちろん、「もう一度投げたかった」という気持ちは今でも持っていますが、今の立場で自分自身が伝えられること、そして伝えられたことが少しでも皆様のお役に立つととても嬉しく思います。

内 容

◎挑戦、モチベーション
「3度の手術に立ち向かう」
プロ野球投手にとって肩は命。入団してから活躍前に1度目の手術。沢村賞を2度獲得した後の2度の手術。苦しいリハビリ生活を続けながら、なお這い上がろうとするモチベーションはどこにあったのか?その「強さ」はどこから生まれてきたのか?

◎負けん気
「黄金世代とのチーム内競争」
3つ年下に黄金(松坂)世代のすごい投手が3人いた。和田毅、杉内俊哉、新垣渚。その中において、持ち前の負けん気でエースのポジションを守り、4人で切磋琢磨しチームを引っ張ったホークス全盛期の話。

◎リーダーシップ、絆
「エースと助っ人の熱き友情」
2006年、王貞治監督が病床で離脱。モチベーションが上がらず自分のことを優先する外国人選手へ選手会長としてチームのために戦うよう直談判した。シーズン最後のクライマックスシリーズで敗れ、マウンドで崩れ落ちた大きなエースを両側で抱えたのはその外国人選手たちだった。

◎決断のとき
「何度も固辞した引退セレモニー」
2007年を最後に、引退を決めた2013年まで、一軍のマウンドに上がることは叶わなかった。6年間チームに迷惑をかけて引退セレモニーをやれる立場ではなかった。正直、ホームベースまで届くかどうかも不安だったラストピッチを受けてくれたのは、かつての女房役で先輩の城島健司さんだった。

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