子どもは余白で成長する

山崎清治 やまさきせいじ

NPO法人生涯学習サポート兵庫 理事長
無人島学校 校長

提供する価値・伝えたい事

十五年以上前のことです。ある日、とある小学校の依頼で、子どもたちのレクリエーションゲームの時間を担当しました。爆笑あり興奮ありの2時間となりました。
興奮さめやらぬ中、「遊びの時間は終了~!次のプログラムまで休憩です」と私が子どもたちに伝えたら、一人の女の子が走ってきて私にこう言いました。

「ありがとー 楽しかったよ。ねえねえ、もう遊んでもいいかな?」

私はその時、頭を何かで殴られたような衝撃を受けました。
おいおい、今までの時間は遊んでいなかったの?この2時間はなんだったの? たとえ楽しく盛り上がったとしても、大人の言われた通りに動く時間は子どもたちにとっては、「遊び」ではなかったのです。
「遊び」はあくまで自分で考えてすること。今までの2時間は楽しい時間ではあったけど、それは「楽しい授業」だったのです。私が良かれと思って考えた遊びのプログラムは、主体性や創造性を育むチャンスを奪い、受け身な子どもたちを生んでしまっていたわけです。

だからと言って、大人が何もしなくていいというわけではないとも思っています。子どもたちが、自ら興味を抱くような「きっかけ」を生む体験の機会を作ることは必要です。でも最近、体験過多になっているような気がします。詰め込みすぎ、準備のしすぎなのではないかと。

今、子どもたちに足りないのは「余白の時間」と「工夫の余地」です。
自分で何をしようかなとか、どうして面白くしようかなと、考えて遊ぶ時間や余地です。
私たちは子どもたちのためにいろんな体験を用意していますが、用意しすぎには要注意です。子どもたちが、自ら考えて遊ぼうとしている大切な時期だからこそです。

今、社会はものすごいスピードで変化をしています。子どもたちが大人になった時には、今では考えられないような社会になっているでしょう。今ある正解や常識がその時には通用しません。そんな社会で生きていくのに必要なのは、今ある「正解」ではなく「自分で考える力」です。
毎日の生活の中で、子どもたちは失敗や間違いを繰り返します。教えたり、止めたりしないと大変なことになることも多いでしょう。でも、遊びの時間だけはじっと見守ってあげましょう。そうすることで遊びの中で「考える力」を身につけられるからです。

遊びの主役は子どもたちです。私たち大人は脇役になることはあっても、脚本家や監督になってしまわないように気をつけなくてはいけません。

(2021年 原稿より引用)

Copyright © 株式会社システムブレーン All Rights Reserved.