『講師特別インタビュー』の第3弾として、元警察官で現在はLGBTQ啓発活動家という異色の肩書を持つ勝山こうへいさんをご紹介します。

勝山さんは、2021年3月まで現職の警察官として警察官への武道指導、護身術・防犯指導などを行ってきました。警察という堅い職業の裏で、常にGAYである自分を隠してきましたが、2020年の後半から適応障害となり、離職…。
離職してからは周囲にGAYであることをカミングアウトし、LGBTQに関する啓発活動も行っています。

最近になって「やっと自分のための人生を歩めるようになった」と語る勝山さんに、これまでの人生を振り返りながら、GAYをカミングアウトするまでの葛藤や経緯、カミングアウトしてからの心情、また多様性を受け入れる社会にするためのヒントについてお聞きしました。

■目次

初恋が同性の同級生…だれにも言えず柔道に打ち込んだ学生時代

――最初に自分がGAYであることを自覚したときのことを教えてください。

勝山 小学校3年生の時に同級生の男の子を好きになりました。しかし、当時のメディアは「おかま」と揶揄しながら、GAYを笑いものにするような風潮がありました。
このことがだれかに知れたら、変態扱いされたり、差別や偏見、いじめを受けるだろうと思い、ひたすら隠し続けていました。

▲小学3年生の頃の勝山さん。この時期に同性が好きであることに気づく

――多感な思春期にGAYである自分を隠していくのはつらかったのではないでしょうか?

勝山 そうですね。中学校・高校は柔道の名門である中高一貫校で、柔道一筋の学生時代を送りました。時々、同性に片思いをすることはあっても、打ち明けることはできませんでしたから、常に「柔道が恋人!」と自分に言い聞かせて、柔道のことだけを考えるようにしていました。柔道現役時代も誰にも心の内を言えず辛いこともありましたが、逆に打ち込めるものがあって救われたところもあります。

ただ、今、柔道も警察もやめて、当時のことを俯瞰して見てみると、スポーツ界もまだまだLGBTQへの理解が少ないと感じています。もっと気軽にLGBTQや性教育について学べるような環境があれば、僕自身、自分を否定せず、もう少し楽に生きてこれたのではないかと感じています。

▲中学3年生の頃の勝山さん。柔道に明け暮れる毎日だった

――その間、ご家族に打ち明けることはなかったのでしょうか?

勝山 うちはもともと裕福な家庭ではありませんでした。また、両親ともに世間体を気にするタイプでした。父は、気に入らない時は母に手をあげたり、酒やギャンブルをして多額の借金をすることもありました。その借金を母が一生懸命働いて返すの繰り返しで…。とにかく母は父に苦労をかけられっぱなしでした。

だから、母は「普通の家庭」に憧れているところがあって…。自分が(GAYを)告白することで、父はまず受け入れられないでしょうし、母は悲しむだろうと思いました。だから、いまだに、このことについては話し合えていません。

母は僕の3つ上にいた男の子を生後10ヶ月で亡くし、悲しみを乗り越えて僕を産んだという経緯もあり、幼少期から、苦労している母を苦しめたくないという思いがありました。柔道を始めてからは、僕が柔道で結果を出せば、父も母も仲良く手を叩き、喜んでくれることを知り、より柔道の稽古に専念するようになりました。
その時だけは、母の理想とする「普通の家庭」になれていたんじゃないかと思います。いつしか「母を幸せにしたい」ということだけを考えるようになりました。その甲斐あって全国大会に出場できるまでになったのですが、その時見せた母の嬉しそうな笑顔を今でもよく覚えています。

▲「幼少期から母の期待に応えたい」と考えていた勝山さん

――それでは学生時代にだれかに打ち明けたこともなかったのでしょうか?

勝山 19歳の時に人生で初めてカミングアウトをしました。相手は大学時代の同じ柔道部だった同級生の女の子でしたが、向こうも他人には言えないことを僕に打ち明けてくれました。ファミリーレストランで互いに泣きながら心の内を話し合ったことを今でも鮮明に覚えています。

母の願いで警察官に…充実した日々の陰で悲鳴を上げる自分

▲警察官時代。防犯セミナーも担当していた

――大学卒業後は警察官という道を選択されていますが、選択された経緯を教えてください。

勝山 警察官になったのは、母の勧めが最大の理由でした。先ほどお話しした通り、裕福な家庭ではなかったので、僕が小さい頃から、母はいつも「安定した職業に就くように」と言っていました。
それに、柔道を初めて教えてもらったのが駐在所のおまわりさんだったのですが、大学4年の時に就職について考えた時、「あんな風にいつかこうへいもお巡りさんになってくれたら嬉しい」と母の言った言葉が思い出され、警察官になるための試験を受けました。

――警察官の世界は、柔道に打ち込んだ学生時代以上に堅いイメージがありますが、生きづらさはなかったのでしょうか?

勝山 そうですね。仕事は大変でしたが、就職してからも柔道を現役で続けられる環境だったこともあり、やりがいは感じていました。現役引退後も、所轄で警察官に柔道を指導したり、東日本大震災の被災地での救助活動や、2019年に起きた「京都アニメーション放火殺人事件」の犯罪被害者支援を担当したりと、警察官として充実した日々を送っていました。
ただ、年を重ねるうちに、「結婚はまだか」「彼女はいるか」と上司に言われ、本音を言えない自分自身と環境に心苦しくなることもありました。

▲少年柔道教室の師範として指導することもあった

――警察組織内でカミングアウトしたいと思ったことはなかったのでしょうか?

勝山 組織内でカミングアウトすることは一切考えていませんでした。自分を押し殺して、普通に結婚をして、母に孫を抱かせてあげたい…そんなことばかり考えていました。

――それまでは、だれかのために生きてきた人生だったんですね。

勝山 おっしゃる通りで、自分のことは二の次にして、ありのままの自分をさらけ出すことができなかった。そんな時に今のパートナーと出会いました。

消防士のパートナーとの出会い、ありのままでいれる自分の居場所

――今のパートナーとはどのように出会われたのですか?

勝山 SNSで知り合いました。彼は当時消防士をしていて、互いに似たような環境にあり、価値観もあって、すぐに意気投合しました。今は10年くらいの付き合いになりますが、彼と出会ったことで、やっと自分の本当の思いに気づいたり、ありのままの自分を解放することができました。

――パートナーの方は元消防士ということで、勝山さんと同じように堅苦しい世界で生きづらさを感じていたのではないでしょうか?

勝山 そうですね。パートナーも同じようにカミングアウトできる環境ではなかったので、生きづらさは感じていたと思います。
しかし、付き合いだして5年くらいたった時に、パートナーは上司にGAYであることを告白したそうです。パートナーが働いていた消防局は、LGBTQ研修に積極的なところだったようで、僕の職場よりは働きやすそうでした。

――パートナーができても周囲にはGAYであることを隠していたわけですが、どのタイミングでカミングアウトすることを決めたのでしょうか?

勝山 今年(2021年)3月に警察を辞めたのですが、その理由が昨年末に適応障害になったことでした。仕事に行くと、胃痛や腹痛に悩まされ、不眠も続き、通常業務ができなくなりました。パートナーの勧めで警察組織内にいる臨床心理士さんのもとに相談に行くと、すぐに休んだ方がいいと言われました。

休職をキッカケに心理学を学び、自分の心の中で起こっていることについて考えるようになったのですが、今まで、「人から頼まれたことをノーといえず、自分を押し殺して他人のことばかりを優先させてきたこと」や、「GAYであることが職場でバレたら差別や偏見の目で見られ、安心して仕事ができなくなる」といった、長年の緊張感のストレスが溜まりに溜まって、心身に支障を来したんだと気づきました。

そして、復職について考えた時、警察組織内でカミングアウトをしても、しなくても、心身ともに健康で働けるイメージが持てなくなってしまい、食べていけるか不安でしたが、「嘘のない本当の自分で生きていこう」と退職を決意しました。

――それでGAYを隠さず生きていくことになったわけですね。

勝山 はい、「GAYを隠さず生きていきたい」とパートナーに打ち明けました。そして、彼もまた、消防士を辞める決断をしました。ならば2人揃ってカミングアウトしようと、SNS(インスタグラム)に二人のアカウントを作り、2人揃ってカミングアウトをしました。


▲初めて同性カップルであることをカミングアウトしたインスタグラムの投稿

――カミングアウトするにあたって、怖さのようなものはありましたか?

勝山 そうですね。SNSでカミングアウトすることで、誹謗中傷されたり、今までの友達が離れていったりするのではないかという不安もありましたが、「警察官や消防士にも当たり前にLGBTQ当事者はいるんだ」ということを伝えたい気持ちの方が強かったです。

カミングアウト後、周囲の反応は思った以上に好意的でした。GAYであることを知らなかった友達や上司がSNSを見つけて連絡をくれたり、僕たちと同じようにカミングアウトに悩む当事者の方たちから「救われました」という言葉や応援のメッセージを頂くようになり、今はカミングアウトしたことで逆に勇気をもらうことの方が多いです。

――カミングアウトする前の不安は杞憂に終わったわけですね。

勝山 そうですね。もともと受け入れられない人たちは僕たちから自然と距離をとるでしょうし、それよりも、今までの僕たちを知っている方たちの「気づき」に繋がったり、当事者の方の生の声を聞けたことの方が結果的にやって良かったという気持ちに繋がりました。今はやっと重たい荷物を降ろした感じで、パートナーと支え合いながら、楽しく過ごしています。

――やっと自分のために人生を生きることができたのですね。

勝山 正直、今後についての不安はありますが、GAYを隠さず生きることがこんなにも楽で幸せなことなのかと、今は充足感でいっぱいです。

だれもが平等に輝ける社会を目指して

――10年前と比べるとLGBTQへの理解は深まってきているのではないでしょうか?

勝山 そうですね。確かに10年前と比べるとメディアで取り上げられることも増えて、社会全体の理解も深まっているように感じます。その反面、僕は主に自治体や企業を対象にLGBTQについての講演活動をすることが多いですが、地域によってその理解度に差があることを感じています。

――確かに。先進的な地域とそうでない地域があるように感じられます。日本はまだまだ海外に比べるとLGBTQへの法的な整備も遅れていますよね。

勝山 はい。例えば、同性婚で見ると、2001年オランダを皮切りに、ベルギーやカナダ、アジアでは台湾など、すでに29カ国が同性婚を認めています。日本ではまだ認められていませんが、その代わり、東京や大阪など一部の地域がパートナーシップ制度を導入しています。しかし、これは婚姻と同等の権利を保障するものではなく、例えば、パートナーが病気や怪我の時に「家族」ではないという理由で手術の許可や面会を断られたり、地域や職場でも「家族」として認められなかったりと、婚姻の効力には到底及ばず、まだまだ課題が多いのが現状です。
加えて、LGBTQ当事者であることをカミングアウトして、職場で健康に働ける風土も海外に比べるとまだまだだと感じています。

結局のところ、社会のLGBTQに対する「正しい認識の不足」が原因で、僕のように働きづらさを感じたり、心身に支障を来してしまう人たちが出てくるのだと思います。

どうすれば多くの人に「LGBTQ当事者は当たり前に身近にいるんだ」ということを知ってもらえるかと考え、最近、パートナーとYouTubeチャンネルを立ち上げました。たわいもない日常を発信しています。


▲「KANE and KOTFE」の名義で元消防士のパートナーと同性カップルの日常を発信している

――2001年にオランダが世界で初めて同性婚を認めたという話でしたが、もう20年以上も前の話になるんですね。

勝山 そうなんですよ。僕はその時ちょうど19歳だったんですが、「もし20年前に日本も同性婚が認められていたら、ここまで生きづらさを感じたり、警察や消防を辞めることはなかったのかもしれないね」と先日、パートナーと話しをしました。日本全体にLGBTQについて「正しい認識」があれば、僕たちの人生もかなり変わっていたかなと思います。この20年でカミングアウトできずに生涯を終えた方も大勢いることと思います。20年もあれば、その制度に救われた当事者も多かったことでしょう。

とはいえ、過去は変えられないので、今からでも社会全体のLGBTQに対する認識を変革することに注力することが大切だと思っています。僕が声を上げることで、LGBTQ当事者がどこか遠い存在と感じていた人たちにも、当たり前に身近に存在することを知ってもらえると思うのです

講演活動をしていると、皆さん本当に熱心に聞いてくださります。「そうだったんだ」「知らないうちに言葉で傷つけてきたかもしれない」と改めて理解してくださる方もおられ、とてもやりがいを感じています。

当事者の生の声を届けることで、結果的に様々な社会の不具合や多様性についても考えていただくキッカケになると考えています。
これからも、誰もが平等に輝ける社会の実現に向けて発信していきます。

――本日は貴重な話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

勝山こうへい かつやまこうへい

LGBT啓発活動講師、幸せビジネス心理アドバイザー、護身術講師、シンガーソングライター

音楽・芸術関係者スポーツ関係者・指導者実践者

警察官(16年)として、治安維持、警察官への武道指導、護身術・防犯指導、犯罪被害者支援(京アニ事件等)、被災地での救助活動など、多岐に貢献。「ありのままの自分で生きる」ことを決意しGAYをカミングアウト、2021年に京都府警退職。現在は、LGBT啓発や護身術講師等、幅広く活躍中。

プランタイトル

LGBT研修(企業の成長にダイバーシティ&インクルージョンは欠かせない~LGBT当事者の視点を通じて学ぶ~)

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