不登校から心機一転して、シンガーソングライターを目指し上京。鳴かず飛ばずの状況を打破しようと、ママチャリ日本一周ストリートライブの旅に挑戦し、1年7カ月を経てゴールします。
森 源太さんの人生を辿るインタビューの後編では、旅を終了してからプロになるまでの経緯、現在の主要な活動としている災害復旧ボランティアについてお聞きしました。

人を惹きつけてやまない森さんの魅力に迫ります。

■目次

旅が終わって気づいた自分の未熟さ

――1年7カ月後に長い自転車日本一周での旅が終わることになるわけですか、旅が終わってからはどうされていたのでしょうか?

 旅が終わってからも、大阪にある師匠のお宅にお世話になることになりました。
師匠は、大阪のベンチャー企業の中でカリスマ的存在の方で、経営者の集まりに連れていっては、活動の場を提供してくれたりして、歌でお金をいただける機会を作ってくれました。

そんなある日、阪急の西宮駅で、2度目の路上ライブをすることにしました。1度目は日本一周旅の途中で、その時は「ママチャリ日本一周中」の看板も増えて、その土地の皆さんが書き込めるメッセージボードも飾っていました。立ち止まる人も多く、路上ライブは好評に終わりました。

それを思い出し、再度西宮駅に行ったわけですが、同じ曜日と時間帯にライブをしたのに、誰一人立ち止まることがなかった。

1年7カ月の日本一周の旅は何やったとか、出発する前と何も変わっとらんたい。

そう気づいたとき、自分が空っぽに思えてならなくなりました。

――1年の旅をようやく終えて、そんな気持ちになるのは辛すぎます。

 そうなんですよ。その時は本当に苦しくて、情けなくて、何をやっているんだろうと自分に失望していました。

それから数日後、師匠のお宅でお酒を飲みながら世間話をしていたときのこと。
師匠が、「源太、これからどうやって音楽活動していくのか?」と聞いてきました。痛いところをつくなと思って、西宮での出来事を話しました。「またバイトしながら路上ライブを続けようかな」と答えました。結局、旅に出る前と同じ方法しか思いつかなかったんです。

すると、師匠は、「自分は何のために生まれたかわかるか?」と聞いてきました。
僕は「わかりません」と正直に答えました。次に師匠は、「お腹いっぱいにご飯食べるために生きているのか?」と聞いてきました。
その時、僕は、確かにお腹いっぱいにご飯を食べたいけど、そのためだけに生きてるんじゃないと思いました。それを言うと、師匠は、今度は「じゃあ、お前は何をしているときが一番楽しいのか?」と聞きました。
いろいろと考えて、やっぱり自分の曲を皆の前で歌って、それをお客さんが拍手して喜んでくれたり、お金払って認めてくれたり、他の人たちに自分を肯定してもらうことと答えました。

師匠は中学校を卒業して自分で会社を立ち上げ、一部上場するまでに成長させた人です。その師匠がおもむろに口を開きました。
そうだろな、それが夢ということだろう? 夢は自分をよく見せるためのファッションじゃないんだ。本当にやりたいのなら真剣に向き合え」と。

それを聞いて、正直、成功してるからそんな簡単に言えるんだと内心思っていました。

自分の歌だけで生活していくために何をすべきなのか、という話になりました。
師匠は僕に
「まずはバイトするのはやめろ。自分の歌以外の収入は受け取らないと言うことをここで決めろ」と言うわけです。僕はすぐに「無理です」と思いました。だって、その時の自分は、師匠のお陰で何とか生きていれるわけで、家賃や税金とか自分で払ってもいませんでした。

僕が言い訳ばかりを並べ立てたら、師匠は「もういい、じゃあ、お前はもしここで歌だけで生きていくと決めた場合、お前の1時間はいくらなんだ?」と聞きました。

自分は何も答えられずにいると、「わかった。これから歌だけで生きていくと決めて、もし半年後、生活するために借金を作ったとしても、その借金は全て俺が払ってやる。お前は諦めるにはまだ早い。お前がバイトで使うはずだった時間は全て歌で生計を立てるためだけに使え」と。

ここまで(自分を)信じてくれて、しかも尊敬している人にそこまで言われたら、自分は何て小さな人間なんだろうと情けなくなりました。

お前の歌は本物だ。他人の心まで届くものは、自分の心から出てきたものだけだ。だから繕うな、自分の魂に従え、それだけの才能のある人間なんだから

と肯定してくれたわけですね。涙が出るほど嬉しくなりました。だから、もう逃げない、しっかり前を向こうと思いました。僕は師匠の方を向いて、

「もしかして借金ば作ることもあるかもしれんけど、それまでは全力で頑張ってみます」と宣言しました。その日からバイトすることなく、18年が過ぎました。

旅から得た本当の宝物

▲日本一周の旅では多くの人々との出会いがあった(ご本人提供)

――素晴らしいですね。多くの人が夢を諦めて、普通の社会人となっている中、そのお師匠さんのお陰で、今の森さんが成り立っているわけですね。

 師匠は人生の方向を示してくれただけではありません。その方法も一緒に考えてくれました。

師匠は「自分のノウハウは全てお前に教えてやる」と言って、「音楽で食べていくには、何か売るものが必要だな。まずはCDを制作する必要があるのか、それならばいくらくらい必要なのか」とてきぱきと話を進めていきました。

弾き語りなら、CDを作るのに100万円くらいかかることを知ると、その100万円を師匠が貸してくれると思いますよね? それが、そうじゃなかったんですよ。(師匠は)「100万円はお前が作れ、俺は作るための知恵を貸す」というんですよ。

売る商品ができていないのにどうしたらよいのか考えていたところ、師匠が「お前のファンに予約販売しろ」と。1枚2000円と決めて、100万円を作るのに500枚。売れるだろうかと思いながら、日本一周の旅で知り合った人たちの顔が思い浮かびました。

今こそ、この人たちに声ばかけて、力ば貸してもらう時じゃなかろうか、この旅の一番の宝物は、この出会いじゃなかったとかな

そう思って、メルアド交換した約1,000人にガラケーから「歌で食べていくことを決めました。親戚の集まりでもなんでも構わないんで、歌を歌える場所を提供してください。近くでライブすることがあれば、来てください。また、その年のクリスマスにCDリリースも考えているので良かったら予約してくれませんか?」とメールを送ったり電話したりしました。

そうすると、たくさんの人が反応してくれて、「源ちゃんを主役にしたイベントをしよう」とか「本当に親戚の集まりだけど来てくれる?」「ライブの企画はできないけどCDは買うよ」とか嬉しい言葉もいただきました。

その時にわかったことは、人に何かをお願いすることはとても勇気がいることだけど、その勇気をふり絞って伝えた時に、人は動いてくれるものだということです。
それが、これまで歌だけでやってこれた自分を支えている経験です。

音楽活動と同じくらい大切な災害復旧ボランティア活動

――最近は被災地のボランティア活動に力を入れていらっしゃるそうですね。

 2011年の東日本大震災のときに初めてボランティア活動に参加しました。支援物資を届けたり生活再建のお手伝いをするために宮城県石巻市に4回ほど足を運びました。2016年の熊本地震の時は地元が近いこともあり、食料を持っていたり、ちょうど農作物の収穫時期だったので、南阿蘇村の被災された農家さんに収穫の手伝いに行ったりしました。

2018年の西日本豪雨災害の時には、一番被害の多かった岡山県倉敷市真備町に友達の親戚がおり、その友達が災害復旧活動の手伝いに行っていたこともあり、自分も真備町に行って災害ボランティアをすることにしました。
真備町では浸水した家屋が本当にたくさんあり、リフォームするにしても柱などの骨組みだけを残して壁や天井、建材などを取り払わなければなりません。それらの解体作業にもお金がかかるため、僕らはこの作業を手伝うことにしました。

やっていく中で、被災された方々からたくさんの「ありがとう」という言葉や、災害ボランティアに行きたいけど仕事で行けない仲間からSNSで励ましのメッセージをたくさんいただきました。それは、音楽を通して皆さんからいただいた喜びと同じ喜びで、やりがいもありました。

活動に賛同していただいたファンの皆さんからも寄付金をいただき、チームで解体作業に取り組むことができました。

▲災害復旧ボランティア時の画像(ご本人提供)

――実際はどれくらい活動をされていたのでしょうか?

 ここでじっくりと災害ボランティアに専念しようと思って、活動の拠点となる家を借りました。講演やライブがある日以外は、真備町に滞在し、半年間、ボランティア活動に勤しみました。2019年10月の台風19号被害では長野市で、2020年の令和2年豪雨災害では岐阜県下呂市と熊本県人吉市に行きました。長野市では半年間、人吉市では8カ月間、災害ボランティアを行いました。

突きつけられる凄惨な現実、そこから頑張ろうとする人々の熱意

――被災地をテレビで見るのと実際行って自分の目で見るのはかなりのギャップがあるのではないでしょうか?

 そうですね。実際の風景はテレビ以上に凄惨で、テレビで被災者さんのインタビュー等が紹介されていますが、あの人たちが実際にいて、災害の凄まじさを直接聞くことができます。災害の前、僕たちと同じように、当たり前に仕事や学校に行き、当たり前の生活があった。それが一瞬でなくなるのです。家具や家財道具は全て泥水にまみれ、思い出の写真なんかもなくなってしまう。そう思うと、いたたまれなくなります。

被災した人の中には、家を新築したばかりで被災し、また新居を建て直し、二重のローンを払わなければならない人もいる。何もかもなくして、一瞬自殺しようと考えた人もいる。

死のうと思ったけど、こうやって助けてくれて、本当にありがとう

ある時、ある人からそう言われました。嬉しいと同時に、何ともやるせない複雑な気持ちになりました。

――ボランティアに興味をある人も多いと思いますが、なかなか飛び込むのに勇気がいりますよね?

▲森さんのワークライフでもある災害復旧ボランティア(ご本人提供)

 そうですね。僕たちは『災害復旧支援団体 チーム源-minamoto-』としてチームで活動していますが、そのチームに、「自分の子供に災害ボランティアを体験させたくて、親子で受け入れていますか」とか「不登校の息子がいるから送ってよいか」とか、問合せをもらいます。だから、僕たちはそんな人たちの受け皿となって、活動する場をコーディネートしています。僕も感じたように、他の人たちもこうやって災害ボランティアをして人の役に立つことによって、人から感謝され、それを嬉しいと思うことができれば、世の中はもっと良くなるんじゃないかと思います

――そうですね。今後も災害の多い日本では防ぎようもないですし、皆で協力しあえる体制作りが必要なのかもしれませんね。

 はい。僕は、今後もし災害が起きたら、すぐに支援に向かうと思うし、今後も支援したいという人たちの受け皿となって、支援の輪を広げていきたいと思っています。災害ボランティア活動は僕にとって音楽と同じくらい大切にしているライフワークですし、これからも音楽と災害ボランティアの両輪で、世の中を良くしていきたいと考えています

子どもたちに伝える魂のメッセージ

▲ライブでは熱い思いを歌に込める(ご本人提供)

――よく学校で講演ライブをされているようですが、そちらではどのようなことを伝えていらっしゃるのでしょうか?

 ここで話したことをベースにして、「今自分に目標や夢がなくても心配するな、必要なときに必要な声が聴こえるから。僕がギターに出会ったときのように、日本一周を決めたときのように、自分の人生にとって必要なものと出会った時には、それを『好きになる』という心の声が。自分が自分に生まれてよかったと思える日は必ずあって、その日に向かうために自分の心の声を聞くことが大切だ。今は苦しくても、自分のことが嫌いでも大丈夫。ちゃんと必要としてくれる人や場所があるから、そのために自分のことをしっかりと大切にしながら、自分の心に素直になって生きていこう。何かを好きになることこそが君が神様からもらった才能なんだよ」ということを話しています。

今の子どもたちは自己否定感が大きいと言われていますが、自分の頃もそうだった。
自己否定感が強いときに、「自己肯定しなさいよ」と頭ごなしに言われても心に入っていきません。自己否定しているときは、どうやって自己肯定できたかを知りたいと思うんです。
だから、成功体験とか、そういうカッコいいことではなくて、自分の泥臭い失敗体験を通して、「悩んでるのは自分だけじゃないんだ」ということをわかってもらいます。

僕の講演を聞いてくれている子たちにどうやったら伝えられるだろうと考えた時に、自己否定ばっかりしていた高3の頃の自分に向かって話しているという気持ちで、子どもたちの前で講演をしています。

▲中高生向けの講演ライブでは自分の失敗体験も全て曝け出して語る(ご本人提供)

――森さんが自分の失敗した姿もカッコ悪い姿も包み隠さず、等身大の自分を見せることで、多感な子供たちは共感しやすいのかもしれませんね。それでは、インタビュー最後にいつもお聞きしていることなのですが、今後の夢を教えてください。

 死ぬまで歌で食べていくことです。このコロナ禍でその難しさと喜びが改めて身に染みたので、余計、そう考えますね。自分という人間に生まれた『役割』を果たしていきたいです。

――本日はどうもありがとうございました。

▲講演ライブでは多くの子どもたちに勇気と届けている(ご本人提供)

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思春期の頃、「自分は生きていてもつまらない人間だ」「自分なんかいなくなった方がよい」と悩んだ経験は、だれしもあるのではないでしょうか。……

森 源太  もりげんた

シンガーソングライター 災害復旧ボランティア活動家

経営者・元経営者音楽・芸術関係者

夢も無く不登校の高校時代から一転、シンガーソングライターを目指し、ママチャリ日本一周ストリートライブの旅などの挑戦を経てプロとなる。 「今、夢がなくても大丈夫。君は強く愛され、必要とされて生まれた。」と熱く唄い語りかける講演は、中高生の自己肯定感を高める、その一助となる。

プランタイトル

誰もが必要とされている
一人一人の人生が自立した幸せなものであるために

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