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髙嶋 仁 (K-17217)

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髙嶋 仁 たかしまひとし

智辯学園和歌山高等学校野球部 名誉監督

長崎海星高校(外野手)を経て、日体大野球部で活躍。4年時には主将を務める。大卒後、智辯学園高校コーチを経て監督に就任。1980年智辯和歌山野球部監督に転任。無名だったチームを全国屈指の強豪に育て上げ、甲子園出場38回と甲子園68勝は共に史上最多。2018年夏勇退、現在は名誉監督。

スポーツ関係者・指導者
モチベーション 人材・組織マネジメント 教育・青少年育成 健康

髙嶋 仁のプロフィール

■経歴
1946年 長崎県の五島列島出身。
1963年 長崎海星高校時代に、外野手としての全国高等学校野球選手権大会に2年連続出場。1966年 日本体育大学体育学部体育学科に入学。硬式野球部(首都大学野球連盟所属加盟校)に入部、大学でも活躍。2年時には大学界の強豪東海大学に勝ち優勝。4年時には主将を務める。
1970年 大学卒業後、智辯学園高校のコーチとなる。
1972年 同校監督に就任。
1977年 選抜高等学校野球大会ベスト4などの結果を残す。
1978年 野球部監督を退き、副部長として野球部に在籍。
1980年 智辯和歌山へ野球部監督として転任、2018年の夏の大会終了後まで監督を務めた。
1985年 甲子園初出場を果たすも当初は甲子園で5連敗を喫する。1学年10名の少人数制度を採用、野球部の快進撃が始まる。
1993年 選手権で初勝利。以後、94年 選抜優勝。97年、2000年の選手権で優勝。
2006年 選手権で中村順司(PL学園元監督)に次ぐ監督通算50勝および史上初の夏30勝を記録。
2010年 第82回選抜高等学校野球大会で勝利し、史上最多記録の監督59勝目を達成。
2011年 第83回選抜高等学校野球大会で勝利し、監督60勝目を達成。
2012年の夏は戦後全国最多の8年連続で甲子園を達成。
2018年、第90回記念選抜高等学校野球大会で監督として春夏通算37度目の出場を果たし、歴代最多となる。同大会で監督通算100試合目の出場を果たす。
同年8月、智辯和歌山硬式野球部監督を勇退。名誉監督に就任。

講演タイトル例

モチベーション 甲子園最多勝利監督が語る
やるなら日本一!目標設定の大切さ

1980年、奈良の智辯学園から智辯和歌山へ転任した練習初日、グラウンドに出てきた選手はわずか2人。 当時の野球部はサークルレベルで和気あいあいの集団だった上、「鬼監督がやって来る」と評判が立ち、大半が...

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人材・組織マネージメント 甲子園最多勝利監督が語る
組織づくり、人づくり

高校野球のチームは毎年選手たちの顔ぶれが変わる。その中で常に結果を求められる強豪で指揮を執ってきた。 年によって戦力に大きなばらつきがある中、いかに38回の甲子園出場を勝ち取ってきたのか。 メリット、...

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教育・青少年育成 甲子園最多勝利監督が語る
時代が変わっても変わらないもの

体罰、パワハラの話題が連日ニュースとなり流れてくる時代。 かつては日本教育の美徳ともされた愛のムチといった言葉も聞かれなくなり、教育、躾、子供との関わりが非常に難しくなっている。 しかし、本当に大事な...

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教育・青少年育成 甲子園最多勝利監督が語る
“なにくそ”の野球人生

終戦直後の長崎県五島に生まれ、貧しさの中で野球と出会った。 島を出て野球に賭けた高校、大学時代は激しい競争と上級生からの連日の“指導”に歯を食いしばって耐えた。 経済的に厳しい中、無理をして島を出して...

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健康 甲子園最多勝利監督が語る
老い、生き甲斐、健康の大切さ

終戦翌年、長崎県五島で生まれ、少年時代は貧しさの中で過ごした。 それでも体は強く、小学5年の時には健康優良児として表彰された。体の強さは揺るぎない自信を持ち、指導者となってからも選手たちを徹底的に鍛え...

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