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宮里新一 みやざとしんいち

シンガーソングライター

8歳でハンセン病を発症し9歳の時に沖縄愛楽園に入所。大学時代に障がい者支援コンサートなどに参加するが、無理がたたって体調を崩し、愛楽園入退所を繰り返す。音楽を離れ病歴を隠して就職するが、音楽への夢を捨てきれず、2002年に病歴を公表してライブ活動を再開。感動の輪を拡げている。

音楽・芸術関係者
音楽
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宮里新一のプロフィール

■職歴・経歴
1955年沖縄県生まれ。
12歳の時、沖縄愛楽園退所の際に「この病気のことは誰にも話してはいけない」と入所者に言われ、この言葉がその後の彼の心を縛り続ける。16歳の時に歌作りを始め、17歳の時に同級生が白血病で死亡したことを機に本格的に詩を書き始める。その後、大学に入学。勉強とアルバイトと音楽活動を続け、その無理がたたってハンセン病が再発する。学業半ばにして卒業を断念し、23歳で愛楽園に再入所。3年間の療養後愛楽園を出て、社会での生活を試みる。以後、具合が悪くなれば愛楽園に戻るという生活を繰り返す。その後、結婚し家庭生活に入るが音楽への思いを断ちがたく仕事を辞め音楽活動を再開。しかし、自信のなさから大きく踏み出すことができないまま空回り。家庭生活にも破れ、すべてを失い沖縄愛楽園にこもる。そこで熊本判決を知り、原告団に入りハンセン病全面解決への闘いに参加。同年9月、厚労副大臣との交渉で「私はハンセン病から解放されたい。ハンセン病の中の歌ではなく、ハンセン病から出ていく歌を作りたい」と訴える。2002年正式に退所。ライブではハンセン病から解放されたいという強い思いの丈を込め、生きることのせつなさ、確かなものへの希求、失意の中から再び生きること、そして歌うことを求め続ける。

講演タイトル例

音楽 ハンセン病からの解放
~生き直しコンサート~

“らい予防法”は44年間の歳月を経て、1996年に全面廃止された。 2001年5月、「ハンセン政策の国の違憲性を問う裁判」で原告勝訴。国が過ちを認めた。  その後、ハンセン病回復者は真にハンセン病から...

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