らしさの延長線上にあるもの

辛淑玉 しんすご

人材育成技術研究所所長

提供する価値・伝えたい事

「男らしさ」「女らしさ」。これって何ですか。
私たちはいつも、小さな枠の中で生きていくことを強いられています。
男は男らしく、女は女らしくというわけです。

内 容

男は強くなければいけない。男は頑張らなくてはいけない。男は無口でなければいけない。10歳の子どもは、男の子も女の子も、同じ10年しか生きていません。でも男の子には、「お前は男の子だから強くあれ、強くあれ」と言います。いじめで自殺するのは大半が男の子です。「いじめられている」なんて、男の子は格好悪くて親には絶対に言えませんよ。

 子どもだけではありません。過労自殺、リストラ自殺、どちらも大半が男です。男は強くないといけないから助けを求められないのです。
 女はニッコリ笑って、いつも一歩も二歩も下がって、「皆様のおかげです」ということばかりをやらされているわけですね。

 私の父は大正生まれで(もう亡くなったんですけれど)とても厳しい父親でした。女はでしゃばってはいけない、女に学問は必要ない、と育てられました。私は、子どもの頃からよく喋っていたので、父親に「お前は、いまにその口で身を滅ぼす」とよく言われました。今、私はこの口で食べているんです。それぐらい時代は大きく変わっているんですよ。

 人間というのは、男と女ばかりではありません。男と女の間にも、実はもっと多様な個性があります。精神的な性、肉体的な性、それから社会的な性も違うわけです。「男らしさ」「女らしさ」というのは、そういう人達を全部潰してしまう考え方なんです。

 私は、「男らしさ」「女らしさ」これが大嫌いです。なぜなら、男らしさ、女らしさ、日本人らしさ、朝鮮人らしさ、障害者らしさ、部落民らしさ、爺らしさ、婆らしさ、何だって出てきますよ。結局、人間にレッテルを張って、小さな枠の中に入れる考え方だからです。

 そして、この「らしさ」の延長線上にあるものは、“殺人”だと思っています。中国人だから、朝鮮人だから、ユダヤ人だから殺してもいいということになります。「〜らしさ」というレッテルの延長線上には、「命の尊さ」が無いのです。その人がその人でありたいと思うものを全部否定していく、だから私はこの「らしさ」が大嫌いなのです。

 現在は、「私が私として生きる」という「私の社会」です。恥ずかしいことなど何もないのです。ちょっとワガママになって、“〜らしく我慢しなければ”という気持ちを止めましょう。一番大事なのは【私が私として生きる】ということです。

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