谷五郎のちょっといい話

谷 五郎 たにごろう

タレント

提供する価値・伝えたい事

<平成26年12月 弊社担当報告書より>
わたしはJA職員からラジオ関西に誘われて38歳で退職し、ラジオ関西でパーソナリティをしています。
ラジオ関西は震災前まではこの須磨区にありました。
20年前の震災当日、わたしは5:30にスタジオに入り新聞をチェックしてました。
最初は机の下に隠れてたが、いったん外に出ました。
いままでの景色とは違ってました。

近所のビルは崩れて倒壊、JRの踏み切りはチンチンと音が鳴ったまんまの異様な光景でした。
そんな状況の中、ラジオ関西は放送を続ける決断をし69時間放送を続けました。
ファックスで安否確認の情報がたくさん流れてきて、それを読み上げてました。
安否確認の中継場所の役目を果たしたのです。

自転車で西へ東へ行くも結局瓦礫で、自転車に乗れず押しながら歩いて取材をしていますと、公衆電話に「情報はラジオ関西に」と書かれた紙にラジオ関西の電話番号が載っておりました。
その時にラジオは役に立っているんだと確信が持てました。
あれから20年、子どもたちはもちろん、もうしらない人たちもたくさんいますが、これを伝え続けていかないといけません・・・

いまラジオ関西の企画で3年目に入りますが、宍粟市で田舎暮らしを月に2回行ってます。
ゴローハウスと名づけて裏には畑が100坪あります。
地元の方たちと畑をしています。
宍粟市(しそうし)をみんな読めないと地元の方たちは嘆く。あなくりしなどといわれることが多い。
そこで、この宍粟市を知ってもらう為に地域の方々と頑張っています。
ある人は、宍粟市の字をかけるように歌を作り、それをラジオで紹介しました。

宍粟市では学校の統廃合が余儀なくされ、私が校歌作詞を頼まれました。
作曲は応募で決まった小学校5年生の女の子です。
その校歌をみんなが歌っているところで聞かせてもらいましたが久々に感動し涙がとまりませんでした・・・
人口がどんどん減っていく中でも、このように力強くいきている田舎を何とかしたい気持ちでいっぱいです。

鹿児島県長島町では、「こほめ条例」というのがあり、小学生の間は全員表彰されます。
地域の方が推薦するのですが、これはとてもいいと思います。

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