心をこめて仕事する大切さ
~清掃を通したおもてなし~

新津春子 にいつはるこ

日本空港テクノ株式会社 環境マイスター
世界一のカリスマ清掃員

提供する価値・伝えたい事

私は長年、羽田空港の清掃員の責任者を務め、大勢の人を指導してきました。力を合わせた結果、何度も「世界一清潔な空港」に選ばれました。

私は中国残留孤児2世です。父は戦後、幼い時に中国に残った日本人で、母は中国人。先に訪日した父が 「日本は自由だ」と言い、17歳の時、家族で日本に移りました。日本に来て成田空港で初めて見る外国人に驚き、カラフルな服や料理が欲しかった。でも、すぐお金がなくなり、30円のパンの耳が家族の3食分。1週間もせずに近所で清掃の仕事を始めました。親の手伝いで掃除をしていたからできました。
働きながら18歳で高校に入りました。でも、日本語が分からず、女子のグループに入れなかった。いじめを受け、いすに画びょうを並べられました。職場でも「中国人」と差別されたけど、負けずにそれをバネにがんばりました。

27歳の時、全国ビルクリーニング技能競技会で1位になったんです。
予選は2位で上司に「やさしさが足りない。道具を作った人の気持ちを考えて」と言われた。それで心を込めてふき、道具や周りの人に感謝するようにしたら優勝した。そこから本格的にこの仕事に興味を持ちました。
羽田空港でも子どもが床に寝転がるのを見て、汚れを早めに見つけてふくようにしました。その積み重ねで「世界一」の空港になりました。

私は親に「自分のことは自分で」と言われて育った。大事なことで迷ったら、自分の人生だから自分で決めた方がいい。
中国で先生や親に「勉強しなさい」と言われても、何のために勉強するのかと思いました。清掃の国家試験などで問題を解いた時、もっと勉強すればよかったと思った。中学でもあきらめずに分からない点を先生に聞けばよかった。勉強が全てじゃないけど、得意なことは伸ばそう。自信が付くと、社会に出てもやっていける。
私は言葉が通じず、仕事もだめで悩んだ時に自殺を考えました。でも「死ぬと母が泣く。もう少しがんばろう」と考え直した。自殺はいけません。
いじめられ、他人がいやなことを言っても「そんな権利はない」と思えばいい。自分を守り、自分にやさしくして「言い返せなかったけど、よく我慢した」と思えば死なない。「がんばった自分にごほうびでおいしいものを」と考えるのもいい。余裕がないと他人にもやさしくできません。
大人になるといやなこともあるけど楽しいことの方が多い。せっかく生まれたからには楽しみを増やし、人生を目いっぱい生きたいですね。

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