神田香織 独演会
講談「チェルノブイリの祈り」~未来の物語~

神田香織 かんだかおり

講談師

提供する価値・伝えたい事

1986年4月26日に起こった人類史上最悪の事故、チェルノブイリ。
来年、2006年には事故から20年の節目にあたります。

これまでも事故を伝える様々な記録が世に出ていますが、
私は「語り」という切り口を持って、巨大事故に遭遇した被災者達の衝撃、
悲しみ、人間のまなざしがとらえた戦慄、人間の内面に溢れる悲哀を、
渾身の力を込めて語りおろします。

内 容

講談「チェルノブイリの祈り」〜未来の物語〜

この物語は、スベトラーナ・アレクシェビッチ著『チェルノブイリの祈り』のなかの、消防士とその妻の哀しい物語を、自身が2年がかりで翻案したもので、「純愛物語」です。

ささやかな幸福を満喫していた「原発推進派」のエリート消防士夫婦。
彼らがなぜ“一回きりの人生”を無残に破壊されなければならなかったのか?

1986年に起こった大惨事の中で、若い二人に降りかかった体験を語りながら、科学の発展は果たして人間を幸福にしているのか、科学の発展に人間はついていけるのかを問う作品です。


「なにをお話すればいいのかわかりません。死について、それとも愛について・・・。
私達が経験した事や、死については、人々は耳を傾けるのを嫌がる。恐ろしい事については。
でも・・・、私があなたにお話ししたのは愛について。
私がどんなに愛していたか、お話ししたんです。」


放射能に「国境」はなく、「匂い」も「色」も「形」もありません。
「時効」もなく「推進派」も「反対派」もありません。
そして原爆推進を「国策」としている限り、私達に「未来」はありません。
チェルノブイリの放射能は気流に乗り、北海道・青森・秋田を汚染、この地域のガン発生率は群を抜いています。
日本の核廃棄物・プルトニウムは「劣化ウラン弾」に姿を変え、コソボやイラクの子どもたちを大勢殺しています。被爆国日本の矜持はどこへいったのでしょう?

事故の年に生まれた子どもはまもなく二十歳を迎えます。その新成人たちを「絶望を抱えた大人たち」にしてはならない。
科学の発展は、愛し合う人たちを幸福にしてこそ存在意義があるのです。

チェルノブイリ事故20周年に、神田香織が「原爆の語り部」として矜持をもって「チェルノブイリの祈り」を語りおろします。

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