指導の原点は人間教育にあり
オリンピック4大会を指導して見えたモノ

飯島健二郎 いいじまけんじろう

リオデジャネイロオリンピック トライアスロン日本代表監督

想定する対象者

経営者、管理職、ビジネスパーソン、一般の方々

提供する価値・伝えたい事

トライアスロンが五輪正式競技となった2000年シドニー五輪では代表監督に就任。アテネ、北京、ロンドンともに代表監督やコーチとして携わる。
教員時代には、野球の名門高校の顧問としてチームを甲子園に導いた。
指導者にとって重要なことについて語る。対象者に合わせて、部下育成法、中間管理職のマネジメントについて、経験談を通して話す。

内 容

■トライアスロンを始めたきっかけ
怪我のリハビリをきっかけに始めたトライアスロンにのめり込んでしまい、もともと有していた教員という安定した職業を捨て、プロトライアスロンの道に進むことになる。競技専念後は単身渡米し、日本のトライアスロン界のパイオニアとして活躍し、一時代を築く。

■働くとは何か?
1998年に競技を引退後、「働くとは何か?」を自らに問うために、志願して100日間地下鉄工事現場で働いた経験をも持つ。

■4つのオリンピックの指導者として感じたこと
1987年に日本初のプロトライアスリートとなり活動を始める。
引退後は指導者として活動を始め、トライアスロンが五輪正式競技となった2000年シドニー五輪では代表監督、
2004年のアテネ五輪では三宅義信総合監督(ウェイトリフティング・ローマ五輪、東京五輪金メダリスト)のもと、女子ヘッドコーチを務めた。
2012年のロンドンオリンピックではトライアスロン日本代表監督して出場。

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