「しあわせ」をあきらめない自立した女性たち
~祖母いわさきちひろ 高祖母若松賤子の生き方から学ぶ~

松本春野 まつもとはるの

絵本作家
イラストレーター

想定する対象者

●女性一般
●女子学生

提供する価値・伝えたい事

●愛と仕事と家庭、どれも諦めなかったいわさきちひろ
●自分で決断して生きる人生
●女性の自立
●女子教育の大切さ
●いわさきちひろが書いた「若さ」「容姿」「純粋さ(無知)」を超える女性の価値

内 容

◎ジェンダー、女性

祖母(絵本作家)、母(美術館経営者)、松本春野(絵本作家)と、三代に続く働く女性家系の当事者として、仕事と家庭、生き方を語る。

また、いわさきちひろは父方の祖母であるが、母方には、明治時代に女性の自立を求め活動した教育家であり文学者であった若松賤子(わかまつしずこ)がいる。賤子の人生や残した詩を紹介し、女性の自立について語る。

●祖母いわさきちひろは、20歳で婿養子を迎え、最初の結婚をする。
どうしても相手を好きになれなかったちひろの結婚生活は、夫を自死という悲惨な形で失い、幕を閉じた。
その経験から、ともに生きるなら、「本当に愛する人と…」とという思いを胸に、31歳で二度目の結婚。
7つ年下の、当時弁護士を目指していた松本善明(後に弁護士、政治家になる)と夫婦になり、一男(松本春野の父)を設けた。
長い間、三人家族の稼ぎ頭はちひろであった。
保育施設もなかった時代に、絵描きとして働きながら子育てをした祖母の生き方、大切にしたこととは。
祖父との結婚の時に交わした契約書には以下の文があった。

「お互いの立場を尊重し、特に芸術家としての妻の立場を尊重すること」


●ちひろの一人息子と学生結婚をした母は、在学中から準備を始め、夫婦でちひろ美術館を立ち上げた。美術館経営をしながら、夫婦で家事育児を分担し4児を育てた。(松本春野は三女)
夫婦の性的役割分担をなるべくなくし、家庭と職場でフェアなパートナーであろうと務めた。
子どもが生まれてからも、短期間ではあるが、両親は、英国にビジネス留学に交代で行くなど、自分たち、美術館の成長のための努力をともに支え合った。

●現在進行中の絵本作家としての松本春野の子育て自著(絵本)の中で描く共働き家庭の姿。

●母方の高祖母、若松賤子の紹介。現代の女性に通じる感性。

バーネットの『小公子』の名訳で知られる若松賤子は、日本で初めて少年少女のためのキリスト教文学を紹介した人物で、当時、女性の社会的地位向上や女子教育の必要性などを説き、フェミニスト運動に先駆けた存在だった。

 「われはきみのものならず、私は私のもの、夫のものではない。あなたが成長することをやめたら、私はあなたを置き去りにして飛んで行く。私の白いベールの下にあるこの翼を見よ」

 明治22年、賤子は夫となる巖本善治(いわもとよしはる)に、結婚式でこの詩を送った。封建的で女性の社会的地位が低い時代、賤子は女性の自立と男女平等を宣言した。



●いわさきちひろの残した文章「大人になること」を紹介。
「若さ」「純粋(無知)」「容姿」に比重がおかれがちな女性の価値を、柔らかいながらに凛としたちひろの言葉が覆す。


「人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。

といってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮しをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。

けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同をしていました。思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。

ですからいくら私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころに私はもどりたくはないのです。

ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。

もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。

少年老いやすく学成りがたしとか。老いても学は成らないのかもしれません。

でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の中の生き甲斐なのです。若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。

いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。

これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。」

根拠・関連する活動歴

【映画】
いわさきちひろ〜27歳の旅立ち〜
http://chihiro-eiga.jp/

【書籍】
ちひろ美術館ものがたり 松本由理子著(講談社)

若松賤子ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%9D%BE%E8%B3%A4%E5%AD%90

会津人物伝サイト
https://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/rekishi/jinbutsu/jin05.htm

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