障害と共に生きる
「明るく生きちゃ悪いですか?」

オスマン サンコン おすまんさんこん

ギニア大使館 顧問
日本ギニア友好協会 広報官

内 容

ボクの生れた町は、ギニアの首都のコナクリからは少し離れたボッファという町。
そこは空港のそばだったため、たくさん飛行機が飛んでいました。
子どもの頃のぼくは、それが不思議で、母に尋ねると、たくさん勉強すれば、あなたもいつかあの飛行機に乗れるよと教えてくれて、熱心に勉強したものです。

ところが、高校生の頃サッカーの試合の決勝戦。ドリブルで進むぼくは悪質なタックルにあい、そのまま病院に運ばれました。しかし、手術は失敗し、一生直らない傷となってしまいました。手術を失敗した医者を殺してやりたいくらい憎み、2度と医者ができないように訴えようと思いました。

しかし、ここでも母の愛情に救われました。そして、裏では母が涙を流し、また医者は毎日のように母に謝罪に来ていたことを知りました。しばらくぶりにあったそのお医者さんは、見る影もなくやつれていたのでした。

そしてぼくの足も頑張ってくれていたのです。うまく動かない中でもなんとか支えようとしてくれていたのです。

ぼく自身がへこたれているわけにはいきませんよね。
ぼくは再び勉強を始め、国費でフランスへ留学できるようになりました。

「神は自らを助くるものを助く」ギニアにもそういった意味の言葉が伝わっています。

「いつも笑っていますね」と言われますが
 悩みを溜めてパワーに変える
 怒る前にまずいったん考える

そうして、明るく生きるのが一番です。
飛行機に乗れたときから、ぼくの新しい人生が始まりました。

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