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夢見る力を信じて 
~ともに生きる未来へ~

前川裕美 まえかわゆみ

音楽家

提供する価値・伝えたい事

3歳で音楽と出会い、大好きな音楽とともに歩み続けてきた。
目が不自由でも、私には音楽がある。
音楽は作曲家や演奏家の内面を映し出す鏡

私は大好きな音楽を通じて、今まで経験してきた楽しいことや辛いこと・・・・
多くの人に聴いて欲しいのです。

障害を持つひとも、そうでないひとも
夢を失わず、幸せになることをあきらめず
自分の可能性と未来を信じて生きていこうよ
歌とピアノとトークを通じて、私からのメッセージを伝えます。

内 容

◎ピアノが無い場合でも大丈夫です。キーボードを持ち込むかMD音源、アカペラなどの方法をご相談させていただきます。
◎演奏・歌・講演の時間配分はご要望に応じた内容構成が可能です。
◎レパートリーは幅広くどのようなジャンルでもOKです。お聴きいただく方々の年齢層や主旨に応じたプログラム構成をいたします。

<プログラム例>
・さんぽ(となりのトトロ)
・ねがい(オリジナル曲)
・おぼろ月夜
・ふるさと
・荒城の月
・いそしぎ
・ムーンリバー
・虹の彼方に
・イパネマの娘  他

<トークの内容>
1.「網膜色素変性症」
幼い頃から、両親は視力の異常を感じていたようですが、極度の近視であろうと判断したため近所の眼科に通院していました。小学5年になった初めて大きな病院に掛かり「網膜色素変性症」と診断されました。視力低下と視野がどんどん狭くなるのですが、27歳の私の現在の視野は1%。これは辛いというよりも大変に不便です。もう少し視野が広がればどんなに便利だろうと思います。
2.音楽との出逢い
5歳の頃からピアノを習い、作曲も楽しんでいました。「網膜色素変性症」は進行するばかりでしたが、音楽さえあれば幸せでした。夢と希望が持てました。でも、視力障害者でありながら音楽を続けるのは、本当に大変でした。大学進学という時「どちらにしても大変なんだから、いっそのことアメリカに行こう!」と思い、反対する両親を説得し、単身渡米。その頃は視力・視野は殆んど失っていたが、入学手続き〜下宿探しまでたった一人でやり遂げました。渡米1年目に、現地のロータリークラブから盲導犬・グレースをプレゼントされました。バークリー大学で6年間学んだ後、2002年帰国。
3.日本での活動
帰国して間もない頃は、障害者への人々の対応・社会環境など、米国との違いを痛感しました。現在は、全てを前向きに捉えています。「視力障害者の音楽家」として、社会に対して提言すべきこと、障害者でも社会で自立できる道筋をつくること、夢と希望を持ち続けること等、米国で体験・学習してきたことを日本で活かしていこうと思っています。
4.家族・周囲の人々に感謝
母親は私を大変に厳しく育てました。私はそれがとても辛くてさみしかった。学校に行くと視力障害のせいで虐められ、家に帰れば「どうしてこんなことも出来ないの?」と普通に出来るようにと躾けられた。学校でも自宅でも、私は「普通の子ども」として生活することにのみエネルギーを注ぎました。父は渡米中の震災の翌年に病死しました。米国に行ってからは考えが変わりました。自分の出来ること、出来ないこと、助けて欲しいこと等を明確に伝えることが要求されました。「出来ないことがあって当たり前。出来ることをやればいいじゃない。」と言われました。ありのままの自分を周りの人に見せることで自分がとても楽になってきた。夢と希望を失わずに学び続けることが出来た。
帰国後、あれほど厳しかった母も大きく変わっていました。私が米国に行っている間に「網膜色素変性症家族の会」に入会し、交流や勉強会を通して理解を深めてくれた。「これまでの私が間違っていた。ごめんなさい。」という母と手を取り合って泣きました。私も、母・兄弟・友人・先生など、周りの様々な人々に助けられて自分がいることに感謝できるようになりました。これからは、感謝の気持ちを持って「視力障害者の音楽家」として、社会に夢と希望を伝えられるような活動をしていきたいと思っています。

その他「盲導犬について」「母作詞のオリジナル曲『ねがい』が生まれるまでの経緯」などについてもお話します。

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