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徳井健太(平成ノブシコブシ) とくいけんた(へいせいのぶしこぶし)

漫才コンビ(平成ノブシコブシ)

小6の時、父の単身赴任が要因となり母が精神疾患に。引きこもる母に替わり、妹の世話と家事・学業を両立。当時は“ヤングケアラー当事者”である認識もなかったが、芸人活動を始めた頃より自覚。講演では自身の体験全てをさらけ出し「誰もが明るく生きる」ヒントを提示している。著書『敗北からの芸人論』。

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徳井健太(平成ノブシコブシ)のプロフィール

■経歴
1980年 千葉県の団地で生誕
1993年 小学6年生の時、サラリーマンであった父が単身赴任となる。
そのことが要因となり、母親は心の病(精神疾患)に罹る。引きこもり状態となり、部屋からも出てこない状態。洗濯や食事の用意、買い物などが出来なくなった母親に替わり、当時6歳であった妹の身の回りの世話を引き受けざるを得ない状況に陥る。生活費は、母親から間接的(扉の隙間から)に手渡されていたものの、学業と部活、そして家事一切を両立させる日々であった。
父親は仕事で多忙のため連絡が取れない状態。
1995年 中学2年の時、両親の故郷である北海道に戻る。
1996年 中学卒業、高校に進学。
高校に進学した頃から、家に居場所が無いと感じるようになる。家に居たくないため、朝・夕2回の新聞配達を熟し、高校へは午後のみの登校。担任の先生は家庭の事情を聞いてくれることも無く「午後からしか登校しない不良」であると思われていた。
その当時のことを振り返ると、歴然とした“ヤングケアラー”であったが、自身が“ヤングケアラー当事者”であったと認識したのは、芸人になってからのこととなる。
1999年 高校卒業
2000年 東京NSC入学(5期生)、同期にピース、三瓶などがいる。
同年、吉村崇とお笑いコンビ「平成ノブシコブシ」を結成。
『ピカルの定理』などバラエティ番組を中心に活躍。最近では芸人や番組を愛情たっぷりに考察する事でも注目を集めている。
2022年に『敗北からの芸人論』(新潮社)を上梓。

■講演活動
平成ノブシコブシ徳井健太の「僕、ヤングケアラーでした。」のテーマで、自身がヤングケアラーとして過ごした子ども時代のこと、当時何を感じていたか。大人たちに何が出来るのか。ヤングケアラーとして生きる子ども達はどこに助けを求めれば良いのかなど、実体験に基づいた生の声を伝えている。自身の過去をすべてさらけ出して語る内容は必聴。

講演タイトル例

福祉・介護 「僕、ヤングケアラーでした。」

ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている「家事や家族の世話」などを日常的に行っている子どもの事です。「子どもとしての時間」を引き換えに、家事や家族の世話をしている状態になります。  父親の単...

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