大津美子 おおつよしこ
歌手
1955年デビュー。2作目の『東京アンナ』が大ヒットとなり、紅白歌合戦に初出場。またハワイを度々訪れ、日系市民を慰め、励まし、希望を与えた功績が認められ、「名誉市民賞」を受ける。1980年にクモ膜下出血で倒れるが、奇跡的に回復し再起への道を歩む。現在も、人生の歌を歌い続けている。
大津美子のプロフィール
■職歴・経歴
愛知県豊橋市生まれ。中学時代から赤十字のボランティアに参加、孤児院や老人ホーム・病院などを回る。
1955年デビュー。2作目の『東京アンナ』が爆発的な大ヒットとなる。同年紅白歌合戦に初出場(以降7回出場)。その後も、『ここに幸あり』『流れのジプシー娘』『東京は恋人』など、数々のヒット曲を出す。
1958年 『銀座の蝶』で初めて挑戦したリズム演歌が大津節とあいまって大ヒット、ミリオンセラーとなる。
また、度々ハワイを訪れ、日系市民を慰め、励まし、希望を与えた功績が認められ「名誉市民賞」を受ける。
1980年 クモ膜下出血で倒れるが奇跡的に回復し再起への道を歩む。
1983年 『ここに幸あり』でロンセラー賞受賞。
1995年 社団法人 日本歌手協会副会長に選任される。(~1997年)
1997年 永年にわたる歌手活動と芸術文化の振興に多大な貢献をしたとして、文化庁長官賞を受賞。
1998年 日本レコード大賞・功労賞を受賞。
1999年 故郷である愛知県豊橋市のふるさと大使に選任される。
2005年 歌手生活50周年を迎え、その記念盤として『大津美子大全集』(CD6枚組)を発売。
現在も、全国各地のイベントに出演し、懐かしいヒット曲から新しい歌まで大人の鑑賞に価する迫力あるステージを心がけ、人生の歌を歌い続けている。
講演タイトル例
大津美子の愛と再起の半世紀!
わが人生に山河あり
突然、襲われた脳動脈破裂(クモ膜下出血)。 『ここに幸あり』でお馴染みの歌手:大津美子の闘病と再起の記録、歌手として女として歩いた半世紀をお話します。 中学生時代から参加しているボランティア活動、国内...
プランへ移動音楽
ここに幸あり
~大津美子はいのちの限りに歌います~
『ここに幸あり』は誰もが口ずさむ昭和を代表する名曲です。この名曲と出会い、デビュー後は常に華やかなスポットライトを浴びてきた大津美子。何の運命の悪戯か、1980年にくも膜下出血で倒れました。「応援して...
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