ガンが病気じゃなくなったとき
~ 患者や家族が求める安心感 ~

岩崎順子 いわさきじゅんこ

いのちの講演家
(公財)和歌山県人権啓発センター登録講師

想定する対象者

どなたでも

医療 看護 介護にかかわる方

看護学校 福祉関係 学校


病院 医師 看護師 介護施設 社会福祉協会
福祉従事者

地域連携

社会福祉協議会

提供する価値・伝えたい事

患者さんの心に寄り添うということ

傾聴の本当の意味 

身体の痛み
心の痛み
社会的な痛み
スピリチュアルな痛みについて

患者さんが死にたいと言ったときに どうやって患者さんの心に寄り添うことができるか

たとえ病気が治らず亡くなったとしても ご家族から「ありがとう この病院でよかった」「あなたが看護師さんでよかった」「先生に診て頂けてよかった」そういう言葉が出たときは 本当の意味での看取りが出来たといってもいいのではないでしょうか

在宅の看取りの体験を通してお話しさせていただきます

内 容

夫が自宅で亡くなった朝、3人のこども達は涙でいっぱいでした。
でも、あることがきっかけでまだあたたかい父親の体の上でこども達は遊びました。

顔やおなかに触り、父親の好きな歌を歌って、おなかの上に馬乗りになって・・。

「死んだら、だんだんカチカチになっていくんやなぁ」
その時、小2だった次男が言いました。

悲しみでいっぱいだった表情は少しずつ変化していきました。

死を頭で理解するのではなく、父親を触り、遊ぶことで、五感を使って死を感じた時間であったのかもしれません。

末期で痛みがきつくなってからは抱き上げることや遊んでやることが出来なかった父親が自分の身体の上でこども達を遊ばせているようにも見えました。

頭で考えた死ではなくて、いのち、生きる、死ぬということを父親が自らの体を使って、五感で教えているような時間でした。

強いところも弱いところもどちらもありのままに見せていってくれたように思います。

お葬式の朝、小学校5年生だった長男がふとこう言いました。「おとうさん、
寝たまま、なんも言わんと死んでいったけど、僕らにいーっぱい、いろんなもの、
残してくれたなぁ・・。」


生きようと思っても生きられない。                                
死のうと思っても死ぬことができない。
人は、生きているのではなく生かされている。
 
ということを言葉ではなく身体を使って教えてくれました。

ガンが病気と言う枠を超えて見せてくれたもの 気づかせてくれたもの 

病気の人、認知症の人、障害をもった人には、お世話をする人が必要です。

そういう方々を周りの方々が、お世話をしている形に見えますが、本当は病気の方々、認知症の方々、障害をもった方々が自らの身体を使って、【いのち】
【生きること】大切なことを教えてくれているのかもしれません。
どの人にも、どの人生にも、すべて意味がある。どなたに起こることも、すべてが必然だと思います。

  
初めは病気として捉えたガン。それでも、時間の流れと共に全ては少しずつ変化していって・・・・

人とのご縁によってガンは病気という範囲を超えていきました。

時間は ご希望に合わせます
30分から2時間まで ご希望のお時間に合わせます

根拠・関連する活動歴

近畿ブロック赤十字病院職員様研修会

病院協会研修会

国立病院機構近畿ブロック学生フォーラム 豊中市民会館

看護フォーラム

山口県 市民公開講座

和歌山県立医科大学 医学部 看護学部

和歌山県立医科大学全職員様

日本赤十字和歌山医療センター職員様

大阪在宅医療

在宅看取りに関する研修会など

200ヶ所以上の病院 介護施設 看護学校 看護大学訪問看護連絡協議会など 医療看護介護にかかわる講演会に行かせてもらってきました

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