いのちは受け継がれて
みんなが生まれてきた日には

岩崎順子 いわさきじゅんこ

いのちの講演家
(公財)和歌山県人権啓発センター登録講師

想定する対象者

保護者の方 先生方
子どもたち(小学生 中学生 高校生 大学生)
子ども達と保護者 先生方 地域の方々交えての講演も多くさせていただいています。

提供する価値・伝えたい事

「そのままでいい。ありのままでいいよ。」
今まで頑張ってきた自分を自分で認めて 受け入れることができたとき 本来誰もがもっている生きる力 自己肯定力がアップするのだと思います。
自分を認めることができたら、自然にその人本来の力が溢れてくるように思います。

小学校の子どもたちに話をするときは誕生日の話などいれながらしています。
片方の親御さんのお家、また親や親せきがいない子どもたちもいる学校もあるので、
心配りをしながら話しています。

子ども達にとって、今はいのち 生や死を身近に感じる事が難しくなっている時代です。
「いのちって何だろう・・家族って・・・」と言うことに向き合った日々を
ありのままに、心を込めてお話させていただきます。

夕食の時間など当たり前と思ってしまっている時間の中に、どれだけ大切なものがあるのか。
子どもと親が本音で向き合うこと。
最後にはグロッケンという楽器での音楽を聴いてもらいながら 自分のいのちの大事さを見つめていただきます。

内 容

夫を子どもたちと一緒に送ったときのお話を中心に、お話しを進めて行きます。

夫が自宅で亡くなった朝、3人のこども達は涙でいっぱいでした。

でも、あることがきっかけでまだあたたかい父親の体の上でこども達は遊びました。
顔やおなかに触り、父親の好きな歌を歌って、おなかの上に馬乗りになって・・。

「死んだら、だんだんカチカチになっていくんやなぁ」
その時、小2だった次男が言いました。

悲しみでいっぱいだった表情は少しずつ変化していきました。

死を頭で理解するのではなく、父親を触り、遊ぶことで、五感を使って死を感じた時間であったのかもしれません。

末期で痛みがきつくなってからは抱き上げることや遊んでやることが出来なかった父親が自分の身体の上でこども達を遊ばせているようにも見えました。

頭で考えた死ではなくて、いのち、生きる、死ぬということを父親が自らの体を使って、五感で教えているような時間でした。強いところも弱いところもどちらもありのままに見せていってくれたように思います。

お葬式の朝、小学校5年生だった長男がふとこう言いました。「おとうさん、
寝たまま、なんも言わんと死んでいったけど、僕らにいーっぱい、いろんなもの、
残してくれたなぁ・・。」


生きようと思っても生きられない。死のうと思っても死ぬことができない。
人は、生きているのではなく生かされている。
ということを言葉ではなく身体を使って教えてくれました。

根拠・関連する活動歴

1000回以上 講演をしてきました
子ども達への講演も沢山してきました。
同じ学校に毎年講演にいっているところも何校もあります
プロフィールにある動画は近畿大学附属中学校の 中学生対象にしたものです。

<活動実績>
近畿大学附属中学校 高等学校
開智中学・高等学校
幼稚園
教職員研修会
特別支援学校
愛知医科大学看護学部
和歌山県立医科大学 医学部 看護学部 など。

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