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橋田幸子 はしだゆきこ

橋田メモリアル・モハマドくん基金100人委員会 代表

凶弾に倒れた夫(戦場ジャーナリスト橋田信介氏)の遺志を継ぎ、「橋田メモリアル・モハメッドくん100人委員会」設立。2009年イラク・ファルージャに「新・総合病院」完成。2011年最終目的の「ファルージャ母子病院」完成。イラクとの友好関係復活を願っての平和活動は現在も続く。

医療・福祉関係者
人権・平和
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橋田幸子のプロフィール

■職歴・経歴
1953年 静岡県生まれ
1976年 日本女子大学文学部卒業、NHK報道部「くらしの経済」レポーターを務める。
1979年 タイ・バンコクで結婚。夫・橋田信介氏(日本電波ニュース社特派員・バンコク支局長)の赴任地タイへ移住。
1979年のカンボジア・ポルポト政権崩壊を目にする。夫のローマ支局長転任に伴いローマに移住。
フィレンツェの列車爆破(ブリガディ・ロッセ)、ナポリ地震を取材。東欧ニュースをカバーする。
1981年 日本へ帰国。1982年 長男出産。1983年 商社勤務。
1989年 夫の独立に伴い、一家三人でタイ・バンコクに移住。夫と共同でフリーランスとして、数々の日本のテレビ番組制作に携わる。
2002年 親の介護のため日本に帰国
2004年 夫・橋田信介氏がイラク取材中に襲撃され死亡
~2005年 左目を負傷したイラクの少年(モハマド・ハイサム・サレハ)の来日治療を実現
「橋田メモリアル・モハマドくん基金」を設立。「橋田メモリアル・モハマドくん基金100人委員会」代表に就任
2005年 自衛隊宿営地のサマワに、埼玉県ライオンズ・クラブに協賛して250人収容の「孤児院」を建設
2007年 イラク・ファルージャ総合病院より2人の女医を日本で医療研修のため招聘
2008年 イラク・ファルージャ総合病院へ医療機器を贈る。「橋田メモリアル・モハマドくん基金」を解散
運営組織の「橋田メモリアル・モハマドくん基金・100人委員会」だけを、残すことにする。委員会は、最終目的の「母子病院完成」を見守るためのものである
2008年 イラク・ファルージャ総合病院より、女医1人、男医2人を医療研修のため日本へ招聘
2009年 イラク・ファルージャ「新・総合病院」完成。運営開始。イラク・ファルージャより男医3人を医療研修の為、日本へ招聘。2011年 最後のファルージャからの医師、女医1人、男医2人を医療研修のため日本へ招聘。「ファルージャ母子病院」完成。
■著書
『母さんのバンコク奮闘記』ウベニチ新聞社・絶版
『覚悟』中央公論新社
『戦場の黄色いタンポポ』 新潮社(橋田信介著) 橋田幸子(まえがき・あとがき)
『世界の戦場でバカとさけぶ』 アスコム出版 (橋田信介著) 橋田幸子編
『イラク戦争でバカとさけぶ』 アスコム出版 (橋田信介著)
■テレビ番組(夫との共同作品)
・1989年より番組終了まで「なるほど・ザ・ワールド」コンテンツ制作/アジア全域(フジテレビ)50本位
・金賢姫「アンダマン海に消えた大韓航空機機体の引き上げ」(テレビ朝日)
・「タイの出稼ぎ象物語」(テレビ朝日「宇宙船地球号」)・パキスタンの核実験(日本テレビ) 
・カンボジアPKO関連ニュース多数・「神々の国・カンボジア」(テレビ朝日「宇宙船地球号」) 
・インドネシア動乱(日本テレビ)・アフガニスタン戦場取材(日本テレビ) その他多数

講演タイトル例

人権・平和 約束
~戦場ジャーナリスト・橋田信介と見るイラク~

世界にはさまざまな民族、文化、風習が存在します。 異なる文化や宗教観、多様な価値観・・・互いが理解し合い、許しあうことが肝要です。 世界平和のために、私たちに出来ることがあります。すべき事があります。...

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