橋本巧一 はしもとこういち
教育アドバイザー 元 小学校校長
橋本巧一のプロフィール
■経歴
1958年 山口県宇部市炭鉱の町で生まれる。
幼少時、父が働く炭鉱閉山に伴い、同県美祢市の炭鉱に移る。
その翌年には、新たな仕事を求めて兵庫県印南郡志方町(現加古川市)に移る。2度にわたる転校で勉強にもついて行けず、また、自身の家庭の経済状況(貧乏が恥ずかしい)を受け入れられず、万引きを繰り返すなど、一時期、横道にそれた経験を持つ
その後、親の真摯に働く姿に目を覚まされ、また、仲間や先生との出会いにも恵まれ、一念発起。教師を目指して勉学に励み、大阪教育大学に進学。
1981年 大阪教育大学卒業
同年、大阪府松原市立布忍小学校に教諭として赴任。14年間教壇に立つ。
以後、大阪府同和教育研究協議会、大阪府教育センター、大阪府松原市教育委員会などにも勤務。
大阪府松原市立天美小学校校長を3年間務め、2019年に定年退職。校長退任セレモニーの中で、生徒たちから「修了証書」を授与された。
■その後の公職歴
・大阪府同和教育研究協議会事務局指導員(3年間)
・大阪府教育センター指導主事(3年間)
・大阪府松原市教育委員会指導主事(3年間)
・大阪府松原市立美西小学校教頭(1年間)
・大阪府松原市教育委員会(7年間/参事・課長・次長・部長を歴任)
・大阪府松原市立天美小学校校長(3年間)
■講演活動について
同和教育推進校17年、教育行政16年、管理職4年で直面した課題と実績から「人は“感動”で突き動かされ、自ら成長する」ことを確信。
【学びも人間関係も、“感動”を、どのように組織するかが鍵~】をモットーに教職員や生徒・保護者などに向けての講演を行っている。
<人権教育>
人権教育と集団づくり、地域・保護者とつながった人権教育、人権教育の構想と手立てなど。
<いじめ・集団づくり>
いじめの解決から集団の再生へ、いじめに向き合う学校・教職員づくり、いじめにどう切り込むかなど。
<管理職研修・学校経営>
若手教職員を育てる学校づくり、校内研修の進め方、学校づくりと管理職の役割、事象・事案への対応
から考える学校づくりなど。
<PTA研修会>
子どもとの信頼関係の作り方、思春期に花開く子育て、保護者への人権研修、ダウン症の保護者の立場から障がいのあるお子さんの保護者の方々へ(学校教育や就労問題など)。
講演タイトル例
教育・青少年育成
【いじめ・学級経営・集団づくり】
“感動”が心の扉を開く!
~子どもの良さや本音でつながる仲間づくり~
いじめや仲間はずれ・・・そこまで行かなくてもグループ化で、子どもたち一人ひとりのつながりや居場所はなくなっていませんか。 その指導に困った教職員は、子どもへの熱い思いが、いつしか「義務感という冷たいプ...
プランへ移動人権・平和
【人権学習・総合的な学習】
人権学習で、生き方・夢を考えよう!
知識理解だけの学習→自分と出会う、仲間と出会う学習へ
人権学習に取り組む時、ことの重大性から、肩に力が入りお説教っぽくなっていませんか? 人権課題についての、正しい理解はもちろん大切ですが、子どもたちの感動・共感につなげることで、一番大切な視点“自分の問...
プランへ移動教育・青少年育成
【初任者育成(・教職員の原点)】
子どもから学ぶとは
~いつまでも成長できる教職員に~
理想の教師像を持ち、憧れの教育現場に立ったものの、子どもへの熱い思いも空回り。いつしか、「あなたのことを思って・・・」の言葉と思いが、(先生の都合にいいように)と、見透かされていませんか?授業をこなす...
プランへ移動福祉・介護
【障がい者・福祉】
全ての人が、幸せになる社会への挑戦
~ダウン症児の保護者として問われたこと~
障がいのある子を授かった時、多くの保護者は立ち止まります。しかし、時間が、何より我が子そのものの愛おしさから、受容が始まります。 障がいのある子ども、保護者・家庭は、何につまづき、悩み、そして、一歩...
プランへ移動